- 2001年11月23日(金)
- 7時のバスに乗ろうと思ってたんだけど寝過ごした、
9時に起きてイミグレに向かった。
全然イミグレが見つからなくて、
ジュースでも飲もうと商店街みたいな所に下りていったら、
ホッタテ小屋にイミグレがあった。
なんだよもっと派手にしてくれよ。
普通のお店と同じ作りで同じ場所で橋の横で、
タバコ売りのおっさんみたいのが1人いるだけだよ。
ただスタンプ押してもらってだけで出国完了。
ビールガンジに入って、今度はネパールのイミグレへ、
ここも人に聞かなきゃ解らない所にあった。
VISA貰って無事入国。
それからメシ食って、
俺の後ろをさっきからウロチョロしてたやつのお店に行った。
125Rsでカトマンドゥまでのバスに乗せてくれるらしい。
それに決めて時間までそいつと話しをした。
今は日本人の彼女と住んでるらしい、
ネパールに住んでるんだけどインド人らしい、
嘘はつかないらしい、
好きな言葉は「誠実」らしい。
一緒に住んでるっていう日本人女性と電話で話しをさせられた、
5ヶ月不法滞在してるんだって、
でも彼がイミグレの人と仲がいいから、
ワイロを払えば何年でもいれるのよって言ってた。
バカだなこいつ、国境に何年もいてどうするんだ。
12時にバスに乗った、
バスの中にはビンドゥの神様がいっぱい貼ってあった。
っていうかバスの中で線香たくのはやめてくれ、
それでなくてもガードレールの無い崖を走るんだから。
20時にカトマンドゥに着いた。とても寒い。
バスの中で知り合って、
俺にチャイをごちそうしてくれたおやじと一緒に、
ツーリストエリアのタメル地区へ。
おやじは家に帰って俺は宿を探したけど、
道がごちゃごちゃしててまったく方向がわからない。
一服してたら日本人がいたので安宿を紹介してもらって、
その人と飲みに行った。
- 11月24日(土)
- とても寒い。
昼間は暖かいけど夜は寒い。
大体冬服なんて持ってないんだよな、
靴だって持ってないんだから。
服とか靴とかの下調べをしてきた。
大体の相場はわかった。
今日はあの寒い夜を我慢して、
明日寝袋のインナーと靴を買おう。
ツーリストエリアのタメル地区は何でもある、
日本食、中華料理、チベット料理、インド料理、
ネパール料理、韓国料理、フィッシュアンドチップスまである。
ここでどんどん食べて、いっぱい太ろう。
体重も普通の時より4キロも少ない、
がんばって食べて体重を戻さねば。
- 11月25日(日)
- 町を歩いてみたけど、いい感じだね。
ツーリストエリアは別として、
ちょっと寒い朝に地元の人が、
湯気のたったチャイを飲む姿なんて絵になるな。
靴を買った、とても暖かい。
さすがにビーサンじゃ山は登れないしな。
寝袋のインナーも買った、
でも、寝袋は持ってない。
ネパールだけのために寝袋は買えないし。
カトマンドゥに着いたときに会った日本人にまた会ったので、
モモを食べながら、また飲んだ。
ビール1本分と部屋代が一緒なのが面白い。
- 11月26日(月)
- これでほとんどのトレッキング用品は揃った。
風邪ぎみなので完全回復を待ってポカラに行って、
アンナプルナB.Cに行くか。
現王宮と旧王宮をぐるっと見に行ってきた。
地図で見ると距離がありそうだけど、大した事なかった、
靴も買ったばかりだから、もっといっぱい歩いて慣らさねば。
ヒンドゥ寺院をいくつか見た、
この国も熱心ですな。
- 11月27日(火)
- 昨日歩きすぎて筋肉痛だよ。
どうやら今カトマンドゥは危ないらしい、
友達から「生きてるか?」っていうメールがよく来るので、
宿のおっさんに聞いてみたら、
2日前にマオリスト(毛沢東主義の方達)が、
警官相手に銃撃戦をして、200人位死んだらしい。
不安定ですね、この国の政治も。
夕方シャワーを浴びに宿に帰ったら、
ポーランド人がフェスティバルにだす映画を撮ってるから、
手伝ってって言うので、手伝ってやった。
なんだか長文の英語を覚えさせられて、
カメラ目線で言わなくちゃいけない。
3回目でやっと合格して握手して終わり。
毎回ベリーグッド、ユアパーフェクトっていいながら、
じゃもう一回っていう「誉めて殺す」やり方やめて欲しいよね。
- 11月28日(水)
- レターを貰いに日本大使館に行った。
それからテンプーに乗ってバングラディッシュ大使館へ。
前はダッカにトランジットで1泊だけだったから、
やっぱりも1回行きたくなってしまった。
どっちにしても行くのは来年だから、
ただだしVISAを取っておく。
今日は朝から機嫌が悪かった、
理由はまったくないんだけど、
とにかく起きた瞬間からすべての物がむかついた。
タメルを歩いてて、お店のオヤジが
「友達、ちょっと見るだけ」って日本語でいいやがった、
すげーむかついて、「ブッ殺す」って大声で言ったら、
その辺の人が大勢集まってきて、みんなになだめられた。
お店のオヤジも日本語でごめんなさいって言ってた。
今日の機嫌の悪さは何だったんだろう?
狂犬病かな?でも、犬に噛まれてないしな
- 12月1日(土)
- 全然寝れなかった。
たぶん5時頃寝て6時頃起きた。
ポカラ行きのバス停に行って、7時のバスに乗った。
7時間でポカラに着いた。
途中マチャプチャレが綺麗に見えたな。
バスを降りたら30人以上の客引きに捕まった、
とにかくしつこい。
寝不足と適度な揺れで、かなり気分が悪くなってた俺は、
さすがに30人に囲まれたら、身動きがとれない。
どさくさに紛れて財布をすろうとした客引きに、
裏拳をおみまえするくらいしか出来ないよ。
ワイワイうるさい客引きの真ん中でポケッとしてたら、
地元の警官が気付いてくれて、
アホな客引き達に向かって銃を構えてくれた、
そうしたらみんなサーっといなくなった。
フラフラしながら部屋を見つけて、
そのまま寝てしまった、20時頃起きたら熱があったので、
風邪薬飲んでまた寝た。
- 12月2日(日)
- 昼に起きたけど、まだスッキリしない。
とりあえずレイクサイドにいる、
ブッタガヤで別れた2人の所に行った。
日の光がたっぷり入る部屋に、すでに1週間ほどいるらしい。
それからカルカッタで別れたGRNも、
レイクサイドのどこかにいるらしいのでメールを送って、
明日2人のいる宿で待ち合わせにした。
俺は昼過ぎから次の日の朝まで寝てた。
- 12月3日(月)
- GRNと部屋をシェアして、部屋でゆっくりする。
GRNも風邪をひいてた。
- 12月4日(火)
- まだ体がパッとしない。
トレッキングの準備をみんなでしてから、
パラグライダーのショップに行った。
体の調子が良くなったら、
ヒマラヤをバックに飛ぼうと思って
やる気満々で行ったんだけど、
キャノピーないとだめだよってあっさり断られた。
あなた日本人しょ?1つ位買っていきなさいよって、
簡単に言われてしまった。
ここでキャノピーを1個買ったら、
旅が終わるっちゅーの。
それにしてもこのエリアはいいね、
もし飛べたら、もの凄い景色が見れるんだろうな。
- 12月5日(水)
- トレッキング許可書を取りに行った。
そこで韓国人の女の子ユニーちゃんと出会う。
1人じゃ怖いから俺らと一緒に行きたいらしい、
一緒に行くことにして、寝袋とかを借りに行った。
- 12月6日(木)
- 町に人がとても少ない。
どうやらマオリストが暴れてるらしい。
なんと夕方町の真ん中で爆発があった。
マオリストがプラスチック爆弾を使って、
ホテルの壁をぶっ壊した。
町の中心にあるホテルだから、ちょっと怖いね。
さいわい誰も怪我はしなかったんだけど、
ごっつい銃持った警官と、迷彩服を着た軍隊の人が、
町を巡回するようになった。
トラックの荷台に10人くらい乗って、
そこから銃を構えてるんだけど、
いちいちこっちに銃口を向けるのやめて欲しいよ。
湖の横のベンチでカメラのレンズを換えてた外人が、
何かに間違えられて、威嚇射撃受けてた、かわいそー。
- 12月7日(金)
- ほとんどのお店が閉まってしまった、
パン屋位しか開いてない。
みんなマオリストが恐いんだろうな。
凄い静かだ。
- 12月8日(土)
- アンナプルナB.Cに行く。
韓国人のユニーちゃんが友達を連れてきたので、
全部で5人で行く事になった。
日本人が3人で恵理子とGRNと俺、
韓国人が2人でユニーちゃんとハナビ君。
プネーまでタクシーで行って、
そこから急な登り坂を2時間位登って、ダンプスに着いた。
本当はマチャプチャレとかが良く見えるはずなのに、
天気が悪くて全然見えない。
とりあえずロッジを決めて、
ハナビの持ってたウイスキーで乾杯する。
- 12月9日(日)
- 8時に起きてしまった、外の天気はとても悪い、
すでに霧の中って感じ。
起きてすぐにアンナプルナサウスが見えた、
それからはひたすら霧の中だった。
ちょこちょこ小さい村を通って、
15時過ぎにトルカに着いた。
今日はここで1泊する事にして、
宿を決めてゆっくりした。
夕食を食べた後、キャンプファイヤーやってて、
そこでハナビがなんだか知らないけど、笛を吹き始めた。
そしたらどこから来たのか分からないけど、人が増えてきた。
そのうちタイコも出てきて、
タンバリンのネパールバージョンも出てきて、
みんなでこの辺の民族音楽をやってくれた、
歌って踊ってなんだか楽しいぞ。
ただ歌の中で、土地の名前でタダパニとかゴレパニって、
この辺の地名を入れるのはいいけど、
最後にジャパニ(日本の事)ってくるのはよくわからない。
火を囲んで、なんだかとてもいい夜だったよ。
- 12月10日(月)
- 6時半頃起きて外を見たら、
アンナプルナサウスが、ドーンと見えた。
凄い綺麗。
ニューブリッジっていう小さい村でメシ食って、
17時に温泉のあるジヌーに着いた。
旅行者がいないだけあって、1泊20Rsと異常に安い。
今日は3食ダルバートだった。
- 12月11日(火)
- 昨日は21時に寝たから、今日は6時に目が覚めた。
外に出ると雲が1つも無いGOODな天気で、
アンナプルナサウスがバッチリ見えた。
朝から気分がいい。
朝飯食べて温泉に行った。
ジヌーから10分下った所の川の横にあって、
熱くなくぬるくなく丁度いい湯であった。
ここも景色がとてもいい。
温泉で疲れを取って、
ジヌーに戻って昼飯食べて、チョムロンに向かった。
距離はそんなにないんだけど、
高度差が700mもあるから、急な上り坂でキツかったな。
チョムロンに着いたら日本人の女の人がいたので、
その人と、うちら5人で同じ宿にした。
ゆみさんっていうんだけど、
中国で7年も働いてたんだって、中国話しで盛り上がる。
中国は話しが尽きないね。
- 12月12日(水)
- ここはマチャプチャレとアンナプルナサウスと
ヒュンチュリが良く見える。
韓国の2人と昨日会ったゆみさんは、
1日にもっと歩きたいらしいので、
先に行ってもらう事にした。
アップダウンが多い道を5時間位歩いて、バンブーに着いた。
ここまで来るとロッジだけで、
人が住んでる村はないし、綺麗な段々畑もない。
今日もダルバートを食べて早めに寝る。
- 12月13日(木)
- 日に日に荷物が重くなっていく、
GRNと俺で恵理子の荷物を分けて持ってる。
まるでポーターのようだ、いやシェルパに近い。
9時頃バンブーを出て、なだらかで険しい道を通って、
昼過ぎにヒマラヤに着いた。
標高2900mなので、とりあえずここで1泊。
すっと渓谷みたいな所を歩いて来たんだけど、
滝とか山とか綺麗だったな。
なんだか異様にはしゃいでしまった。
ここんとこ、毎日雲1つない天気だから、
歩いてて気持ちがいい。
- 12月14日(金)
- ヒマラヤからマチャプチャレB.Cへ。
さすがに3000mを超えると、ほとんど植物が生えてない。
マチャプチャレを横に見ながら、渓谷みたいな所を行く。
途中道を間違えたけど、
それ以外はスムーズにベースキャンプまで行けた。
マチャプチャレベースキャンプだけはあって、
マチプチャレが目の前で、凄く綺麗だ。
夕日は綺麗なピンク色になった。
- 12月15日(土)
- 6時に起きたんだけど、
曇っててあまり良く朝日が見えなかった。
ついでに雪が降ってきてしまった。
MBCでゆっくりして、ABCに向かう。
吹雪の中を歩いたんだけど、
4000mを越えたくらいから、1歩がきつくなる。
遠くにABCが見えるんだけど、
足がなかなか前に進まない。
最後の階段を10分位かけて登って、
アンナプルナベースキャンプに着いた。
ハナビが俺達を待ってたので、
そのロッジにして暖を取る。
やっとアンナプルナB.Cに着いた、でも何も見えない。
ついでに軽い高山病で頭が痛くてよく寝れない。
- 12月16日(日)
- 6時30分に起きた。
外はまだ暗かったけど、雲が1つもないのはわかった。
だんだん明るくなっていって、
やっとアンナプルナベースキャンプに着いたっていう
実感みたいなものがわいた。
アンナプルナサウス、ヒュンチュリ、マチャプチャレ、
アンナプルナT、アンナプルナVが、
ちょうどベースキャンプを中心にして全部見える。
アンナプルナヒマールの中心だね。
山の色がどんどんかわっていって、
ピンクから黄色になって、空が空の色になって、
ちょっとジーンとしてしまった、神秘的な感じ。
- 12月17日(月)
- 綺麗な日の出を見て、昼前にABCを後にした。
MBCから霧に入って、ひたすら歩く。
5時間くらい歩いてドバンに17時頃ついた。
ビールをいっぱい飲む。
1000m下っただけはあって、どんどん飲めるよ。
- 12月18日(火)
- ドバンから温泉のあるジヌーへ。
途中までの道はゆるい下りでよかったんだけど、
昼過ぎからのシヌワからチョムロンの登りはキツかったな。
チョムロンから一気に700m下って、
16時にジヌーに着いて、そこから走って温泉に行った。
1時間以上ビール飲みながら温泉に浸かった。
これは気持ちよかった。
ロッジに帰ってダルバートを食べて、
今日もまたビールをしこたま飲んで寝る。
- 12月19日(水)
- とっても雲が多い。
ダンプスで景色を見て帰ろうと思ってたんだけど、
これじゃたいした景色も見れないだろうから、
近道して帰る事にした。
道がわかりずらいのであまり行きたくなかったんだけど、
途中で会った韓国ガールがガイドを連れてたので、
それについていった。
7時間ちょっと歩いてナヤプルへ、
そこからタクシーでポカラに帰った。
ナヤプルに着いた時は、車と人に驚いた。
ライトつけて走ってる車が変な感じだった、
視界に20人位見えた時も変な感じだったな、
なんだかちょっと恥ずかしかった。
ポカラでビール飲んですぐに寝た。
色々趣味とかなんとかって持ってるけど、
自然を相手にするのが俺には合ってるのかも。
ただ歩いてるだけなんだけど、なんだか楽しい。
ABCもMBCも良かったけど、山岳民族の生活も良かったな。
- 12月20日(木)
- 全然洗わなかった洗濯物を洗いに出して、
ポカラの町を久しぶりにブラブラした。
本当に観光客が減ってる。
そのかわり警察官と軍服きた人達が前より増えてる。
ペワ湖に行ってパラグライダーが飛んでる所をボケッと見て、
トレッキングに行った人達と宴会の約束をしてたので行った。
なかなかいいキャラクターだった韓国のハナビ君。
俺がソウルに行った時に何泊かした
宿の斜め向かいに住んでる事が発覚。
日本のマンガが大好きでオタク級だ。
この2週間でみっちり恵理子に日本語を仕込まれた。
相変わらずボケボケのGRNで、
ベースキャンプの酸素の薄い所でもガンジャは手放せない。
すでに20日も一緒にいて部屋もシェアしてるので、
24時間この男の顔を見てる。
恵理子。
寝袋借りる時に-20°を借りろって散々言ったのに、
-10°借りてきて「寒くて寝れません」って2日目に言い出した。
最初の3日目位まで毎朝真っ青な顔をして、
「もう帰ります」って言い出すし。
とてもバランスが悪くていつもこけそうになって、
みんなをヒヤヒヤさせてた。
でも、写真を撮ってる姿「だけ」はかっこいい。
みんなフラフラになりながら、
静かで物騒な町に帰っていった。
- 12月21日(金)
- 8時のバスに乗ってカトマンドゥへ。
数々の検問を通って15時にカトマンドゥに着いた。
タメルに行って宿決めて韓国料理を食べる。
観光客が少ない・・・。
警官も倍増えた。
- 12月22日(土)
- たまってたメールを打って、
日本食を食べまくる。
- 12月28日(金)
- ボケっとしてたら、6日もたってしまった。
最近はダメだな。
ネパールに入ってから、
どうも旅から逃げてるような感じがする。
タメルを歩いてたら和永を見つけた、
またまた太っててなんだか見てるだけでむかついたので、
声かけなかった、でも数時間後にばったり会ってしまった。
ブルネイ、バンコク、ネパールって来たみたい。
トレッキングで会った人たちも、
続々カトマンドゥに戻ってきた、
夜中まで酒飲んで、
韓国のハナビ君の「恋ばな」を聞いてひやかす。
- 12月29日(土)
- 年越し準備のため、ナガルコットに行く。
ツーリストバスで行こうと思ったんだけど、
今日は動いてないらしいので、
ローカルバス行くことになった。
バクタプルに行って乗り換えて、
ナガルコット行きのバスに乗る。
ここ数日間、なんだか動くのも何するのでもかったるくて、
何もやる気にもならなくて、
毎日酒ばっか飲んでたんだけど、
今日ローカルバスに乗って、
久々に身動きがとれない状態で2時間乗ってみて、
頭の中で何かが「ピーン」と来た。
これだよ、この感覚だよ。
これを待ってたんだよ!
俺の今の心を天気で表すと、
毎日曇りだったのが、急に雲1つもない晴天になった感じ。
これで元気よくインドも周れそうだ。
宿決めてチャイ飲みながら夕日を見た、
すごい綺麗。
気分もスッキリだから、倍綺麗。
- 12月30日(日)
- ナガルコットは標高2000m以上だから、
さすがに朝寒い。
ヒマラヤが凄く綺麗。ビックリだよ。
チャングナラヤンまでミニトレッキングに行った。
村の人達に道を聞きながら3時間くらいで着いたな。
チャングナラヤンにある寺院は、
世界遺産に登録されてるんだって、
木彫りの壁とかドアとかカッコイイ。
帰りにナガルコットで数人の日本人に会って、
一緒に夕日を見に行った。
皆さん年越しのためにナガルコットに来たらしい、
景色のいい所で初日の出を見たいっていう発想は、
日本人ならみんな一緒だね。
夕日の見える丘から見るクーンブヒマール、
ランタンヒマールは、めちゃくちゃ綺麗だった。
- 12月31日(月)
- 朝ナガルコットの下の村にニワトリを見つけに行って、
その場でしめてもらった。
首をククリで切った後も胴体だけがずっと動いてたのは、
見てて苦しかった。
宿に帰ったら和永が年越し用に、
日本人パッカーを8人連れてきてて、
俺がナガルコットで見つけた日本人と合わせて20人になった。
飯食って火を焚いて宴会やって、
日本より3時間15分遅れて2002年になった、
結局朝まで寝ずに飲み続けて、そのまま初日の出を見に行った。
これはいい1年になりそうだよ、
本当に綺麗な日の出だった、ヒマラヤ凄くいい。
言葉じゃ言い表せないね。
- 2002年1月1日(火)
- 初日の出を見てから宿に帰ってきて、
16時頃まで寝てしまった。
まだ数人が残ってたので、
余った酒飲んで早めに寝る。
- 1月2日(水)
- バクタプルに行くはずだったけど、
天気が良かったので、ひなたでまったりしてしまい、
今日出るのをやめてしまった。
宿のひなたでゆっくりして、
ノリタケ食堂の屋上で日光をたっぷり浴びて、
これからネパール、パキスタン、バングラディッシュ、
ブータン、モルディブ、スリランカ、
インドのサミットをやる高級ホテルの屋上で景色を見て、
1日が終わった。
- 1月3日(木)
- バクタプルまで歩く事にした。
3時間位下った所に小学校があった。
子供が校庭で手招きしてるので行ってみたら、
えらく歓迎されて、たいして英語も喋れないのに、
英語のクラスで軽く先生をやった。
外に出てみんなと写真を撮って、
校長にチャイと軽食をごちそうになって、
バクタプルに向かった。
パソコンのクラスは2個あるんだけど、
パソコンが1つもない。
どうにかしてやりたいもんだけどね。
そこから30分歩いてバクタプルの中心に着いて、
750Rs払うの嫌だから、
門を通らないで地元の人が通る道を通って入った。
- 1月4日(金)
- 昨日の夜は寒くて寝れなかった。
隙間風どころじゃなくて、外で寝てるようだった。
町を歩いた、さすが町の見学料750Rsとるだけあって、
町並みといい雰囲気といいとてもいい感じ。
ここはいつの時代?って感じ。
ボケーっと町を歩いてるのがよかった。
5重の塔があってそこの上から町の人の生活を見てたんだけど、
ここの人達は何百年も生活のしかたが
変わってないんじゃないかなって思う、
周りの雰囲気も設備も関係あると思うけど、
朝神様にお祈りして、チャイを飲んで、
軽く仕事をして日が沈んだら家に帰ってさっさと寝る。
そんな事を考えてたら、日が沈んでしまった。
昨日の夜宿に日本語が喋れるネパール人がいて、
その人と喋ってたんだけど、
宿の前で火を焚けるっていうのでBBQする事になった。
その人は数学の先生をしてて、
日本語は学校で1年習ったらしい、
日本語完璧だし話も面白かった。
- 1月5日(土)
- ボケーっとしてたな。
ここはボケーっとするのに最適な場所だ。
宿と一緒にインターネット屋があって、
パソコンが1台だけあるんだけど、
日本語IMEが入ってなかったので、
入れてやったりして遊んでた。
夜ウサミさんっていう日本赤十字の駐在員の方に会った。
日本を離れて15年たってるんだって、
夕食を一緒に食べてビールを7本も奢って貰ってしまった。
かなりラッキー。
- 1月6日(日)
- お気に入りのMOMO
MAXでトゥクパを食べて、
カトマンドゥに帰る。
だけど、サミットの影響でバスが市内まで行けないので、
途中の町まで行ってタクシーでタメルに帰ってきた。
GRNが明日バンコクに帰るから、夜中まで飲む。
今日のチャンはうまかった。
- 1月7日(月)
-
- 11時に起きてしまった。
パキスタンの大使館に行ってきた。
VISAの受け付けは11時から12時30分までだって言われて、
時計を見たら13時だったので、さっさと帰ってきた。
ヤク
アンド
イエティっていうホテルのカジノに行ってみた。
夕食ただだし、ビール飲み放題だし、タバコもくれるし、
生演奏付の豪華なカジノでまったりして、
23時過ぎにタメルに帰ってきた。
この時間は危ないね、銃持った警官がウロウロしてて、
狂犬病っぽい犬が集会開いてるし、
出会う人はみんな「ハシシ」って耳元で声かけてくるし、
調子に乗って夜遊びなんかしない方がいいみたい。
- 1月8日(火)
- パキスタンの大使館にまた行った。
今日はしっかり申請できたけど、
インドとパキスタンの国境は開いてないぞって言われた。
うるせーな「知ってるよ」。
でも行くんだよ。
タメルに帰ったら和永がいたので、チャイを飲みに行く。
夕飯食べた後、和永の友達のともちゃんが知ってる、
めちゃめちゃローカルなトゥンバ屋に行って、
トゥンバとチャンを飲みまくる。
安いしうまいし、これははまりそうだ。
- 1月9日(水)
- パキスタンのVISAを取りに行った。
なんと!3ヶ月も出してくれた。
でも、帰る時に「グッドラック」って言われてしまった。
一応親指出しといた。
帰り道にカジノがあるので寄ったら、
正月一緒に年越しした、ミチ君とカズちゃんがいたので、
一緒にただ飯を食べる。
2人は札幌と石狩の出身だから、話が合う。
和永が風邪をひいて寝込んでるらしいので見に行った。
こんなに弱ってる所を見るのは初めてなので、いじめといた。
何やっても言い返してこない所が、いじめがえがあったな。
今日もまたトゥンバ屋へ。
トゥンバって言うのは、元々チベットのお酒らしい。
アワを加工したやつにお湯を入れて、
竹で作ったストローで飲むんだけど、
めちゃめちゃうまい。
そこの店ではチャンも出してくれる。
チャンはネパールのお酒らしい、
温めて飲むと体も温まる。
- 1月11日(金)
- トゥンバにはまった。
トゥンバ屋の常連客とも仲良くなった。
- 1月12日(土)
- バクタプルで会った赤十字のウサミさんに電話したら、
家に泊りに来ていいよって言われたので、
お泊りセットを持ってパタンヘ。
さすがいい所に住んでるよ、高級住宅街だね。
車は赤十字ウサミ専用だし運転手付だし。
車のナンバーの色も一般の車と違うから、
外交官と同じような扱いなんじゃないかな?
パタンもいいね。
夜は家の大屋さんが作ってくれたって言うチャンを飲む。
- 1月13日(日)
- 部屋で音楽聞いたりしてた。
夕食の買い物に行った以外は、外に出なかった。
久しぶりの自炊でマーケットの野菜とかを買ったけど、
ニンジンとチリ買って4Rs(約6円)と非常に安い。
- 1月14日(月)
- 大きいベランダが部屋の前にあるので、
1日中日光浴をする。
タメルにいると、あまり日にあたれないから浴びだめだな。
- 1月15日(火)
- ウサミさんの職場のネパール赤十字の本社を見学に行った。
ネパール赤十字の1角を日本赤十字のオフィッスにしてるみたい。
それからタメルまで送ってもらって、
宿に帰ってゆっくりする。
正月一緒に過ごした人達に会った、
ランタンにトレッキングに行ったらしい。
- 1月17日(木)
- 今日カトマンドゥを出ようと思ってたんだけど、
数日前からの水のような下痢が治らないので、
やさしいものを食べてゆっくりする。
腹は全然痛くないんだけど、水のような下痢なんだよね。
昨日と今日と天気が悪いので、
ソーラーシステムを使ったシャワーは、
全然お湯が出ない。
2ヶ月もネパールにいるけど、雨が降ったのは初めてだな。
- 1月18日(金)
- 今日も無理みたい。
チャイを飲みながら、
街角でネパリーウォッチング。
- 1月19日(土)
- 良くなってきたような気がしないでもないので、
下痢止めの薬を飲んで夜行バスに乗った。
周りのネパール人がとてもやさしい、
色々気を使ってくれる。
気を使われすぎて、こっちが疲れてしまうくらいだよ。
ここでの休憩は30分だって教えてくれるのはいいけど、
15分でバスが出発したんですけど・・・。
- 1月20日(日)
- 12時間位かかると思ってたのに、
こういう時に限って、時間通りにバスが着いてしまう。
朝5時にバイラワに着いた。当然真っ暗。
1人だけポツンと降ろされたので、
とりあえず建物の影でゆっくりする。
6時頃になって町の人が動き出したので、
チャイを飲んでから宿探し。
天気は悪いけど、南に下っただけはあって暖かい。
何件かあたってみたけど、みんなまだ寝てるようなので、
見てくれが良さそうな宿の前で待ってた。
7時頃開いたので、とりあえずそこで1泊することにした。
時間はまだたっぷりあるのでターリー食べて、
仏教の聖地ルンビニへ。
ゴータマ・シッダールタさんが生まれた所だね。
9時にバス停に行って、9時出発のバスの中で1時間待って、
10時に出発して、100m位の距離を走ってまた止まって、
お客さんがいっぱいになるのを待って、ここで10時30分。
それから荷物を天井に積んで11時、
燃料を入れて11時30分、ルンビニに着いたのが13時。
バイラワからルンビニまで22キロなんと4時間!
あほかっちゅーの。
ふらふら見てたら、オランダ人の女の子がいて、
一緒に見に行くことにした。
彼女はネパールに2ヶ月いて、もう1ヶ月いたいらしい。
ブッダ生誕が彫られた石は、表面が削り取られてしまってた。
アショカ王の石柱は、とても綺麗に直されてた。
紀元前に作られたんじゃなかったのかよ。
そういえば菩薩樹の前に立ったとき、
何ともいえない気持ちになった。
何って言えないけど、何かを感じた。
普通じゃないよ、あの木は。
それから各国のお寺を見に行ったんだけど、
どの国のお寺も作り途中だ。
中国寺はアホかっていうくらい大きかった。
日本のそうなんとか寺に行ったんだけど、
まだ作り途中で、やっと屋根を作りはじめた所だった。
ここまですでに4年かかってるらしい。
そこで作業をしてたネパール人にお茶をごちそうになって、
雑談をする。
今日は何回も地元の人にお世話になった。
-
≪INDIA≪ ⇔ ≫INDIA≫