- 2002年1月21日(月)
- 寝坊した10時だった。
乗合ジープに乗ってスノウリへ、
10分位乗ってネパールのイミグレの前に降ろしてくれた。
ビールガンジの国境と違って、
物売りとかむかつくリキシャとかがいないからスムーズだ、
イミグレもわかりやすい所にあった。
インドの国境を越えたら、そこはもう本当のインドだった。
うるせーし、しつこいし、人の体をベタベタ触ってくるし、
なんだか忙しい。
ここで1泊しようと思ったんだけど、
タイミングよくゴーラクプル行きのバスがあったので、
乗ってしまった。
2時間30分でゴラクプルに着いて、
チャイを飲んで一服する。
それからしょんべんするところを探してたら、
その辺にいたインド人がどこに行くんだって聞いてきたので、
明日行こうと思ってたクシナーガルって言ったら、
でっかい声で出発しようとしてたバスを止めてしまい、
しょうがなく乗ってしまった。
まぁゴーラクプルに1泊する意味も無いから、
良かったっていえば良かったんだけど。
おいちゃんが叫んだときに、
バスの周りにいた通りがかりの人達が、
みんなでバスを叩いて止めてくれたのは、
なかなか面白い光景だった。
インド人むかつくけど、こういう所は好きだ。
2時間乗って、ブッダ入滅の地クシナーガルに着いた。
これで仏教4大聖地のうち3つ来たことになる、
残るはサルナートだけだ。
ここには町らしい町はないみたい、
巡礼宿みたいなところがあったので、
そこに宿を取って散歩をする。
ルンビニではオランダ人の女の子がいたけど、
今日はツーリストを1人も見かけなかった。
良く体が動く。
旅の勘みたいなものも戻りつつある。
適度な緊張もあるし、
うまく旅モードに頭が切り替わったのかもしれない。
ネパールは散々だった、
体は動かないし、何もする気にならないし、酒ばっか飲んでた。
あれは俺の中での沈没だったのかもしれない。
VISAが2ヶ月だったから良かったけど、
もっと長かったらもっといたかもしれないな。
うぅーこわ。
- 1月22日(火)
- ニルバナテンプルに行って寝釈迦を見る、
ここで入滅したらしい。
ミャンマー人のようにお祈りして、
ふと気づいたら30分もそこに座ってた。
その間ここを守ってる地元の人が、
ローソクに火を燈してくれて、線香もつけてくれた。
ローソクをつけてくれた人にお礼を言って、
後ろを振り向いて外を見たら、
沙羅双樹がとても綺麗に見えたな。
それからラマーバルっていう所まで行って、
ブッダが火葬された所に行った。
レンガを積み上げた塚みたいになってる。
とても怪しい店で、チャパティーとダヒーを食べて、
ゴーラクプル行きのバスに乗った。
1時間半でゴーラクプルについて、
宿決めて髪の毛を切りに行った。
かなり伸びた髪の毛を、ハサミでボウズにしてくれた。
ちゃんと刃を換えてヒゲも剃ってくれて、
かなりスッキリしたぞ。
宿に帰って久しぶりにシャワーを浴びる、
ここで水シャワーは辛い。
- 1月23日(水)
- ほとんど寝てない。
朝4時だっていうのに、小さなお店は店を開き始めてる。
チャイとちょっとしたつまみを食べて、駅に向かった。
駅の入り口は、足の踏み場が無いほど人が寝てる、
そいつらを踏まないように気をつけながら、
ホームに行って、5時のバラナシ行きの電車に乗った。
俺が乗った車両は、俺ともう1人だけしかいなくてガランとしてる
すぐに寝て、起きたら10時で11時にバラナシ駅に着いた。
ターリー食べて安宿が密集してるガートを目指す。
だいぶ歩いたところで、
流暢な日本語で「久美子ハウスに行くんですか」って、
インド人に声をかけられた。
その辺に行きたいって言ったら、連れていってくれた。
そのおやじは久美子さんの旦那さんだって言ってた。
久美子ハウスっていうのは、
バラナシで有名な日本人宿なんだけど、
あまり評判が良くないので、
行かないでおこうって思ってた宿だ。
そのおやじに久美子ハウスまで連れていってもらって、
他の宿にした。
ガンジス川が目の前で、GOODな所だ。
荷物を置いてガートを見てまわった、
意外と整備されてる。
なんか変な匂いがするなと思ったら、
薪で人を焼いてるところだった。
次に焼かれる人が、布みたいのにくるまれて、
半分ガンジス川に浸けてある。
焼け残ったかすみたいのを鳥とか犬とか食べてるし、
猿も焼け残った人間を狙ってるみたい。
ちょこっと見てたけど、
どーもこの光景がいまいち理解できなかったので、
座って眺めながら色々考えた。
そのうち日が暮れてしまった。
- 1月24日(木)
- ガンジス川沿いのガートを歩いて見てきた。
マニカルニカーっていうガートでいっぱい人が焼かれてた。
すごい匂いだし、あまりにも露骨に焼かれてるので、
3分もいられなかった。
昨日は大丈夫だったのに、今日は無理みたい。
ガートには犬、鳥、猿、牛、ヤギ、猫、
ブタ、インド人、何でもいる。
一方ではタコあげしてて、一方では人が焼かれてて、
その横でウンコしてる人がいて、
沐浴してお祈りしてる人もいる。
ケンカしてる人もいるし、昼寝してる人もいる、
洗濯してる人もいる。
そして俺をどうにか騙そうと頑張るインド人達。
新しいものを見てるわけでもなく、
普段見てるものともちょっと違う、
懐かしい感じもしない。
なんだか良くわからないけど、不思議な感じ。
- 1月25日(金)
- 駅に行ってサルナート行きのバスに乗った。
30分くらいでサルナートに着いて、宿を捜す。
サルナートはブッダが初めて説法した所だ。
バラナシとは違って、なんだかのんびりしてる。
バラナシは人が多すぎて疲れる。
日本寺があったので寄ってみた。
どうやら朝夕のおつとめに参加すれば、
泊まらせてもらえるらしい。
荷物を置いて坊さんと話をしてた。
夕方のおつとめに参加したら、
バンコクであった女の子がいた。
仏教の聖地巡りをして、ここで毎日座禅してるんだって。
おつとめしてちょっとした手伝いをすれば、食事ももらえる。
- 1月26日(土)
- 5時だっていうのに坊さんがお経唱えてるよ。
まだ外は暗い6時からおつとめをする。
1時間位でちょうどおつとめが終わる頃に、
朝日が昇りはじめる。
健康的な1日の始まりですな。
寺にある芝生の上でボケっとする、
さすが日本寺だけはあって、
ここにいると日本にいるみたいだ、
日本っていうのは確かこんな感じだったと、記憶している。
坊さんの話が実に面白い、84歳なんだって。
- 1月27日(日)
- 朝起きるのが辛いです。
昼間と夜の温度差が大きいから、
みんな風邪ひいてきた。
このドミに10人日本人がいるんだけど、
しっかり仏教を学ぼうとしてる人が多い。
俺みたいに通りかかったので、
ちょっと泊まってみたって言う人は少ない。
お経を記憶してる人とか凄いよな。
坊さんとここにいる人達と昼間良く話をするんだけど、
普通に旅してる人と話をするのとちょっと感じが違う。
お寺だし坊さん相手だと、
悩んでる事とか聞きたいこととか、
みんなどんどん話して、
それに対して坊さんが的確な答えをくれる。
答えがなくても、そのことに対して一緒に考えてくれたりしてる
インドでは宗教の違いとか文化の違いとかがもろに出るから、
まいっちゃう人が多いんだよね。
インドではやっぱり信じるもの、
それが宗教だったり、家族だったり、彼女だったり、
友達のことを考えてしまう。
宗教1つでもあまりに大きすぎるので、
結果はでないけど、真剣に考えてしまう。
ここインドでは、他の国(日本も)では体験できないことを、
見たり感じたりすることが出来る。
このチャンスを逃してはいけないな、
自分や人の事を考えるときが来たんだ。
このインド滞在中にじっくり考えてみようではないか。
- 1月28日(月)
- なんとチベット寺にカルマパがきてた。
謁見出来るというので行ってきた。
確か去年かおととしに亡命してきたはずなんだけど、
まだ若いんだな、17とか18歳くらいなんじゃないのか?
それからちょっと目つきが悪いぞ。
カルマパに頭を触られて、
赤い紐をと怪しい薬を貰って帰ってきた。
サルナートは1日か2日で出ようと思ってたのに、
すっかりいついてしまった。
お寺に完全な俺の居場所が出来てしまった、出にくい。
- 1月29日(火)
- カルマパがチベット寺に来てるから、
チベット人がサルナートにいっぱいきた。
宿もそんなにないからいっぱいになってしまって、
日本寺のはじっことか使って寝てるみたい。
いやーそれにしてもどんどんチベット人が来る、
町はチベット人だらけだよ、
地元のインド人より多いんじゃないかな?
- 1月30日(水)
- 出たくないけどゆっくりしてる場合じゃないので出る。
午前中は坊さんと話をして、
昼過ぎにバラナシに帰ってきた。
すぐに電車のチケットを取って、宿に行く。
サルナートの日本寺は良かった。
いろんな話が聞けたし、
短期間だったけど、いろんな事を教えてもらった。
修行してる皆さんもいい人達ばかりだった。
- 1月31日(木)
- 朝早いのに慣れてしまったので、起きるのが早い。
せっかくだからガートに行ってみた、
朝の凄く寒い時間にも大勢の人が沐浴している、
2時間も見入ってしまった。
朝日が水面に映ってちょっともやがかかってて、
体半分ガンガーに入れた人が、
手を合わせてお祈りしてる。
なんだか神秘的だな。
電車に乗ってサトナーへ。
まわりのインド人がとてもやさしい、
チャイも奢ってくれるし、食べ物も買ってきて、
半分俺にくれる。
夜サトナーに着いて、バス停の近くの宿に行った。
- 2月1日(金)
- サルナートでひいた風邪が、ひどくなってきた。
インドの薬を買ってみたけど、飲む勇気がまだない。
9時30分のバスに乗って14時30分にカジュラホに着いた。
バスの運転手とかまわりにいたインド人とかは、
みんな楽しい奴等ばかりだった、
バスに乗ってた5時間は全然退屈しなかった。
客引きについていって、GOODな宿を見つけた。
できたばかりらしい。
インドで泊まった宿の中で一番綺麗だ。
広くてホットシャワーがあってトイレ付き、
3個ベッドがあるけど、この部屋は俺しか使わない約束で、
60Rs約160円。
宿で働いてるやつらは、
インド人のくせに俺のいう事をいちいち聞いてくれるので、
バナナ買いに行かせたり、
サンセットがよく見れるところにバイクで案内させたりした。
インドは10億人以上人がいるから、
中にはいいやつもいるんだよな。
変な先入観を持ってここに来てしまうと、
いいやつらに悪い事をしてしまう。
ただ、自分をしっかり持ってないと、
すぐに悪いインド人につけ込まれてしまう。
しっかり見極めて「NO」ってはっきり言わないと、
痛い目をみるんだろう。
- 2月2日(土)
- ここの寺院は凄いな。
1000年位前に作られたらしいけど、
うまく補修されてるし、周りもちゃんと整備されてる。
凄いよここの彫刻。
なんともいえない曲線、
大胆っていうかそのまんまじゃん。
彫刻が柔らかい、見ててうっとりしてくる。
すごい!参った、しばらく動けなかった。
そりゃー飛行場も出来るわ。
ここの寺院群は凄い。
いっぱいある彫刻は、1体1体表情が違う、
実に面白い形や格好をしてる。
南の寺院にあった彫刻は、1体の半分が男(シヴァ)で、
もう半分が女(パールパディー)なんだって。
SEXしてる彫刻から始まって、
最後は完全にくっついてしまって、
男と女が1体で表現されてる。
とにかく凄いよ、来てよかった。
- 2月3日(日)
- すげーイライラする。
カジュラホのインド人は、むかつき度ナンバーワンだ。
町を歩いてると、全員声をかけてくる。
お店も高いしボってくる。
- 2月4日(月)
- 体重計りたい。
駅にある色々な意味で無駄の多い体重計にのってみたんだけど、
あきらかに間違ってる。
インドに戻ってきてから、1日7食位食べてるから、
だいぶ太ったはずなんだけど、
正確な体重計がないからわからない。
カジュラホからサトナーへ。
カジュラホを出たのが16時で、
20時30分頃サトナーに着いて、
メシ食ったりその辺にいた奴等と話をして時間をつぶす。
なかなか電車が来ない。
11時50分発なのに、3時間遅れの3時過ぎに来た。
- 2月5日(火)
- 今日は1日電車の中。
朝飯は電車が止まったときに、
ホームで売ってたパンを卵で包んだやつを食べた。
それから15分後腹が痛くなってきて、
15分おきにトイレに行って、
昼過ぎには治った。
だいぶ強くなったな。
普通だったら2、3日は動けないのに、
出すもの出したら平気になってきた。
たまに何も無い所で電車が止まる、
そうするとみんな勝手に電車から降りて、
日向ぼっこをしてる。
電車が動き出すと、走って電車に飛び乗る。
なかなか面白い光景だ。
電車が走ってても、出入口のドアは開けっぱなしだから、
しっかりつかまって半身を出してみると気持ちが良い。
ふと横を見ると電車の外にしがみついてるやつらがいる、
お金払ってないのかな?
手を放したら一発であの世行きだ。
昨日の夜は寒くて毛布が必要だったのに、
今日の夜は扇風機が回ってるよ。
でかいなインドは。
- 2月6日(水)
- 9時にまわりのインド人に起こされた、
チェンナイに着いたらしい。
サトナーに3時間遅れで着いたから、
そうとう遅れてて、着くのは夕方だと思ってたんだけど、
なぜか時刻表通りに着いてしまってる。
駅を出て宿を捜す。
とても暑い。
オートリキシャとか客引きとかいっぱいいたけど、
北インドみたいにしつこくない。
- 2月7日(木)
- 蚊と格闘してて、昨日は全然寝れなかった、
何か対策を考えなければ。
海に行った、ベトナム以来だ。
周りを見ても立派な建物が多いし、
道路とかも整備されてるし、
ここはインドじゃないみたいだ。
寺院に行ったり博物館に行ったりした、
ここは都会だ。
- 2月8日(金)
- 昨日も蚊にしてやられて全然寝れなかった。
バスに乗って2時間、カーンチープラムに来た。
ちょこっと内陸に入っただけなのに暑い。
ブァラダラージャテンプルに行った、
ヴィシュヌの寺院らしい。
石柱がいっぱいある大ホールの彫刻が凄かった。
沐浴地の裏にめちゃめちゃ大きいのに、
忘れ去られたような寺院があった。
彫刻も素晴らしい、建物は7階位まである。
雑草が生い茂る中にポツンとあって、
まったく人がいない、人が通った跡すらあまりない。
中に入ってみたんだけど、
ほったらかしって感じ。
上に登る階段があったんだけど、
登り口が壊されてて、登れないようになってる。
よじ登って階段室まで行ったんだけど、
コウモリが襲ってくるので登れなかった。
こういう時は無理して登ったりしない方がいいな、
よくない寺院なのかもしれない。
町の人達がニコニコして俺を見てくる、
北の人には無い笑顔だ。
人懐っこいし、いい感じ。
- 2月9日(土)
- 朝から寺院巡りをして、
マハーバリプラムに向かう。
小さな町で乗り換えて3時間で着いた。
途中の風景はベトナムの田舎に似てた、
みんなのんびりしてる。
ちょっと重たい海風が気持ちいい。
マハーバリプラムはチェンナイから近いから、
ツアーで来たような外国人ツーリストが多かった。
お土産屋とかもあるし、
外人が好きそうなレストランもそろってる。
海に来たから海岸で、フィッシュカリーを食べる。
- 2月10日(日)
- 今日も暑い。
カオサントラベラーズロッジで貰った帽子をかぶって、
世界遺産になってるパンチャラタへ。
1300年前に作られたらしい、意外と綺麗に残ってる。
それからでっかい岩にあるレリーフ、
海岸にある寺院を見て、
暑さに絶えられず帰ってきた。
暑さに体がなかなか慣れない。
体を壊す前に少し休んだ方がいいかもしれない。
- 2月11日(月)
- 昼ちょっと前に起きて、
バスに乗ってボンティシェーリへ。
道が綺麗なのでガンガン飛ばす。
2時間で着いた。
それからチタンバラム行きのバスに乗って、
これも2時間。
そして宿を決めて荷物を置いて、
町の3分の2を占める、ナタラージャ寺院へ。
東西南北に大きな門があって、
そこにある彫刻も素晴らしい。
- 2月12日(火)
- だるい、かったるい。
こういう日は、
ビールでも飲んでダラダラしたいもんだけど、
西海岸に出るまで、もう少しがんばるか。
ガンガイコンダチョーラプラムへ行く。
途中怪しい町のバス停で降ろされた、
バスを乗り換えなくてはいけないらしい。
そこで30分位バスを待ってたんだけど、
物凄い数のインド人にいちいち囲まれた。
あまりツーリストが来ないみたい。
みんな何も言わないんだけど、
ずっとあの目で俺を見てる、決して視線をそらさない。
それからまたバスに乗って1時間、
ガンガイコンダチョーラプラム着いた。
名前は凄いけど、町は小さい。
昔はチョーラ王朝の首都があったらしいけど、
今は閑散としてる、閑散って言うか何もない。
ここに来たのはブリハディーシュワラ寺院を見るためだ。
ここは凄かった。
まだ彫刻に昔付けた色が残ってる所もあった。
彫刻もいいし、全体がカッコイイ、
芝生も手入れされてる。
本当は中に入っちゃだめなんだろうけど、
横のドアが開いてたから本堂に入ってみた、
この薄暗さとヒヤッとした感じが、
何ともいえない雰囲気を作ってる。
すげーいい。
今まで見てきた寺院とだいぶ違う。
まずカッコイイ、それから全体的にまとまりがある。
天気もいいし人もいないから静かだし、
本当にここはいい。
それからまたバスに乗ってクンバコナムへ。
チョーラ朝が残した寺院が気になる、
クンバコナム行きのバスを待ってる時に、
英語を少し喋れるおやじがいて、
俺が「この寺院GOODだよ」って言ったら、
ここから80キロ離れた所に、
もっとすげーのがあるぞって教えてくれたので、
行くことにした。
クンバコナムからタンジョールへ。
今日はバスの乗り降りが多かったんだけど、
バスに書いてある行き先が、
全部タミル語で書かれてるので、
俺にはまったく理解できない。
いつもその辺のやつらに行き先を言って、
バスを教えてもらうんだけど、
この辺の人は本当によく教えてくれる、親切だ。
バスに乗って目的地を言ったり、
これを探してるとか言うと、
バスに乗ってる全員が一番いい方法を話し合って、
俺に教えてくれる。
見ててこっちが笑っちゃうくらい、
みんな真剣に話し合ってる。
皆さんたまたまバスに乗り合わせただけで、
知り合いじゃないと思うんだけど、
全員で話し合ってる。
俺が今まで生きてきた世界には、
そんなもん無かった、他人はあくまで他人だった。
- 2月13日(水)
- ブリハディーシュワラ寺院を見に行った。
これには驚いた、凄い。
不便な所にある町だけど、来てよかった。
規模といい彫刻といい壁画といい、すべて素晴らしい。
これにはまいった。このまいったは、カジュラホ以上だ。
冠石は80tもあるらしい、
これを乗っけるのに6キロ傾斜路を作ったんだって。
とにかく何処を見ても素晴らしい。
シヴァの寺院だから、リンガがいっぱいあるんだけど、
本堂にあるリンガは高さ3m以上あった。
本堂の外にナンディが待ってるんだけど、
すごくデカイ。
仏教遺跡のアンコールワットみたいに、
全体のバランスがとれてる。
大きさといい保存状態といい、
アンコールワットに負けてないよ。
とにかくこの遺跡の凄さにはビックリした。
世界遺産になったのも当たり前だ。
カニャークマリまでの電車の予約をしに行ったら、
47人もウェイティングリストに載ってるっていうので、
マドゥライからの電車を予約した。
夕方バスに乗ってティルティラッパリに行った。
なんだか都会で、しかもインドっぽくない、
所々に「BER」って書いてある看板があって、
駅前のホテルは立派なのが多い。
- 2月14日(木)
- 昨日の夜、飲みに行ってしまい、
しこたまビールを飲んでしまった。
気持ち悪いし、胃が何も受け付けない。
インドっぽくないガーデンレストランで、
ビリヤーニを食べたんだけど、半分も食えなかった。
お店の人に「どうした?」って聞かれたので、
胃が痛くて食えなかったって言ったら、
ビリヤーニ代はいいよって言われた。
ここはどこ?そしてどうしたインド人?
いつもみたいにボッたくってみろよ。
調子狂うなぁ。
ガーデンレストランでメキメキ働くインド人、
笑顔がある、しつこくない。
インドはわからなねーな。
バスで3時間、マドゥライに来た。
1泊35Rsと南インドにしては安い。
- 2月15日(金)
- 朝7時まで寝れなかった、南京虫とも格闘した。
安いからいいってもんじゃないよな。
昼に起きて電車でナガルコルへ。
途中、風力発電の町を通った、
町のいたるところにプロペラがある。
ちょうど夕日が落ちる時間で、
町の明かりと、発電するプロペラと、
夕日で真っ赤になった空と、山と荒れ地っていう、
絶妙なコンビネーションを、しばらく見てた。
海が近いから塩っぽい風が電車の窓から入ってくる。
なんだか俺ってカッコイイなーってふと思った、
カッコイイからなんだよって自分につっこみ入れてたら、
ナガルコルに着いてた。
その辺の奴等にカニャークマリに行きたいって言ったら、
バス停に行けって言われたので、
市バスで長距離バスターミナルへ。
それからカニャークマリ行きのバスに乗って、
30分位で着いた。
インド大陸の最南端、
朝日と夕日が海から海へ、
アラビア海、インド洋、ベンガル湾。
ここもヒンドゥー教の聖地だ。
宿を捜してたら日本人に声をかけられた、
そして宿を紹介してもらう。
- 2月16日(土)
- だるい、疲れだな。
メシも食えないから、宿でじっとする。
夕方、夕日を見にビーチに行った。
ちょうど最南端の所に人がいっぱい集まってた。
生まれてはじめて海を見たようなはしゃぎ方をして
海水浴を楽しんでるインド人。
夕日に向かって祈ってるインド人。
太陽は真っ赤になって、アラビア海に沈んだ。
- 2月17日(日)
- まだちょっとだるい。
インターネット屋に行って、日本語IMEを入れまくる。
魚1匹12Rs、何の魚だかわからないけど、
とてもうまい。
早く元気になるために、バナナを買った、
10Rsで25本、約27円。
最初に12本で10Rsって言ってきて、
「バカヤロー」って日本語で怒鳴ったら、
おやじが俺から目をそらして、
13本の束を余分に入れてくれた。
もしかしたらかわいそうな事をしてしまったのかもしれない。
今日の夕日も綺麗だった。
- 2月18日(月)
- 寝れなくて、そのまま朝日を見に行った。
物凄いインド人ツーリストの数、
300人以上いたんじゃないかな?
ベンガル湾から登る朝日は、とても綺麗だった。
宿に帰って寝て、昼過ぎに起きて外に出ようとしたら、
宿で働いてる奴等と喧嘩になり、
頭きて荷物まとめてコバーラムビーチ行きの
バスに乗ってしまった。
お金の事で揉めたんだけど、いやーむかついた。
久々に本気でむかついた。態度がむかつく。
20時にコバーラムビーチに着いて、
宿を捜したんだけど、
立派なホテルばかりで高い。
疲れたのでタバコに火をつけて一服してたら、
50Rsで部屋あるよって言ってきたおやじがいたので、
ついていったら、意外といい所だったのでそこにして、
メシを食いに行った。
とても高い。
これは全部外人ツーリスト向けのものだ。
このビーチのホテルもレストランも、
インドの物価に比べると、恐ろしく高い。
まぁでも日本の半分以下だけど。
- 2月19日(火)
- ビーチとやしの木、バランスはとてもいい。
南インドで1番綺麗なビーチだったらしいけど、
たいしたことないし、どちらかといったら汚い。
朝飯食って洗濯してビーチでボーっとしてた、
すっげー寂しい。
外人はみんなカップルとか夫婦だし、
日本人はいないし、俺だけボツンとしてる。
ビーチで波を見ながら体育座りして2時間ほど過ごす、
すっごい寂しい。
旅しててこれほど孤独を感じた事はない、
別に1人でも大丈夫だった。
1人でビーチは無理だ。
1人で観光地はだめだ。
物売りのしつこいインド人が天使にみえる、
俺に声をかけてくれるし、話も聞いてくれる。
でも、お互いたいして英語が喋れないから、
また孤独になる。
写真を撮って体育座りして、
撮らなくてもいい写真を撮って、体育座りの繰り返し。
夕日を見てたらサルナートで会った人が、
バックパックしょって現れた、
すっげー嬉しかった、そしてその人と喋ってたら、
なんと!こんな所で日本人女性が1人で歩いてた。
久しぶりに日本人女性と喋った、
だいぶ緊張しながら、とにかく日本語で喋りまくった。
奮発して魚も2匹食ったし、イカも食ったし、
ビールも4本3L以上飲んだ。
- 2月20日(水)
- まったく寝れなかった。
7時に朝飯を食べに行って、やしの木の下でのんびりして、
サルナートで会った日本人の人と海に入りに行った。
波が高くてまかれる。
3回くらい本気で死にそうになった。
それからビーチで砂遊びしてた、
通るインド人がみんな見ていって、
「これは何だ」といちいち文句をつける。
昨日汚く見えた海も、
環境の変化で居心地よく感じてしまう。
今日の海は綺麗だった。
我ながらまったく単純だよ。
今日出ようと思ってたんだけど、もう1泊する事にした。
60センチ以上あるタイを、
100Rs約270円で買って3人でシェアする。
寝てないからナチュラルにキマッてて、
ビールもどんどん入る。
- 2月21日(木)
- 電車のチケットを買いに行ったら、
23日の朝のチケットしかないって言われて、
ここにもう1泊する事になった。
ビーチがあっておいしい食べ物があって、
喋り相手がいると、どうしてもダラダラしてしまう。
- 2月22日(金)
- コバーラムビーチからバスでトリバンドラムへ、
やしの木でジャングルみたいになってる所をバスで行く。
天気もいいしかなり気分もいい。
宿を決めて町をブラブラした。
なんだか人の笑顔がいい、
腹減ったのでフッシュカリーを食べた、
店員の皆さんがニコニコしてこっちを見てる、
魚のおまけとか貰っちゃって、
しかもお金を払うときになって、
めちゃめちゃいい笑顔でサンキューなんて言われてしまった。
それからこの町の人は、みんな俺にやさしい、
道聞いてもよく教えてくれるし、
しかもみんな英語がうまい。
本当にホッとする笑顔を見せてくれる。
やしの木が町のいたるところにあって、
町並みも綺麗。
南国の都会って感じ。かなり気に入った。
宿に帰たら、シーツのカバーをかえるから
部屋を開けてくれって宿のやつに言われた、
そいつ歩き方とか変で、
気持ち悪いやつだなと思ってたら、
部屋で2人になったときに「男好き?」って言い出した。
好きだけどお前は嫌いって言っといた。
こいつのしぐさといい喋り方といい目といい、
ルンギーはいてるけど、100パーセントオカマだ。
インド人のオカマははじめて見た、
なんだか面白い奴だったので、
どんな過去があったのか聞いてやった、
すっげー笑える。ここには書けない。
- 2月23日(土)
- あまり寝れなかった、
暗くなると元気になる。
7時頃宿を出た、
オカマインド人が2階のベランダに腰をかけて手を振ってる。
電車に乗ってバンガロールへ、20時間らしい。
昼飯買いそびれて、どうしようか考えてるときに、
隣のやつがおいしそうにメシを食いはじめた。
じっと見てたら、その人の分をわけてくれた、
断ったんだけど、「腹減ってるはず」
だから食えって言ってくれたので、
ありがたくいただいた。
気持ちいいね、ホントインドは色々だよ。
- 2月24日(日)
- 5時に着くはずなのに、
4時に着いてしまったらしい。
周りの人に、どうするの?って聞いたら、
寝るって言うので俺もそのまま寝てた。
5時頃出されて、プッタパルティまでのバスを探してたら、
電車が6時45分に出るからそれに乗れって言われて、
急いでチケットを買いに行った。
結局電車は8時過ぎに出た。
そこでアメリカ人のおっさんに会った、
IBMで働いてて、バンガロールに仕事できて、
大好きなサイババに会いにプッタパルティに行くんだって。
宗教か?って聞いたら、いや先生だって言ってた。
そのおやじとサイババアシュラムに行って、
部屋をシェアすることになった。
このおやじに何しに来たの?って言われたので、
通りかかったから、サイババを見に来ただけって言ったら、
本屋に連れてかれて、「これ読め」
って日本語で書いてあるサイババの本を5冊も買ってくれた。
それからこれも何かの縁だし、
お前はこれからも旅が続くんだから、
ここは俺が全部払うって言って、
メシ、部屋、水、
とにかくここで生活する全ての物を買ってくれた。
いいよ、って言ったんだけど、
若いのに色々な経験を自分からする人は好きだ、
だから心配するなって言ってくれる。
アシュラムにいる数千人の人が着てる、
白い服も心を落ち着かせるにはいいからって、
買ってくれた。
アメリカ人ならではの陽気さを持ってて、
アメリカ人ならではの優しさを持ってる。
- 2月25日(月)
- アシュラムはとても大きい、
人を収容するところがいっぱいある。
どこもみんな綺麗にしてあって、整備もちゃんとしてる。
来たときはヤバイと思った。
みんな白い服を着てるし、
変な呪文みたいのを唱えてる。
これもまた1つの国っていうか世界で、
オーム心理教の一件があったから、
みんな「L」でも食わされてるのかと思ってしまった。
昼過ぎに大ホールに行ってみた。
多分3000人以上いたんじゃないかな?
みんなサイババを待ってる。
こんなに人数がいるのに、シンとしてる。
そこにゆっくりな音楽が鳴って、サイババが登場した。
ぐるぐる人の間を周って、
数人連れて中に入ってしまった。
頭があれだから、大きい人を想像してたけど、
意外と小さいし、年食ってる。
- 2月26日(火)
- 日本人がアシュラムの中にいっぱいいるらしい、
でも、1人も会わないんですけど、どうなってるんだろう?
昼過ぎに大ホールに行って、サイババ見て、
おっさんとメシ食って、
ダラムバラム行きのバスに乗った。
1時間半で着いて、そこから5時間待って、
2時のホスペット行きの電車に乗った。
おっさんなんて呼んでるけど、
すっごいいい人で、口癖は「何事も経験だ」。
最後見送ってくれたんだけど、
悲しかったなー。
この感覚、オーストラリアで仲良くなった日本人を、
見送ったときと同じだ。
今回9ヶ月旅してるけど、
こんな気持ちになったのは初めてだ。
RADUさんっていうんだけど、
お前には必要だって言って、お小遣いまでくれた。
なぜ?って聞いたら、
RADUさんの息子と俺が同じ年で、
なんだか色々考えて手助けしたくなったらしい。
そういえば俺が穴のあいたTシャツを普通に着てたら、
ちょっとビックリした眼差しで見てたな。
- 2月27日(水)
- 周りのインド人に起こされた。
「お前どこに行くんだ」って言われたので、
ホスペットって言ったら、
ここだぞって教えてくれた。
急いで用意したんだけど、
電車は動き出してしまった。
まだ加速してない時だったから飛び降りた、
幸い怪我はなかったけど、インド人に笑われた。
それからバス停に行って、
ハンピ行きのバスを待ってたんだけど、
来なかったので、
近くにいたアメリカ人のお姉さんと、
リクシャをシェアして、ハンピまで来た。
そのお姉さんすっげーかわいくて、
映画に出てくる女優みたいな顔してたよ。
とりあえず宿を決めて、ゆっくりする。
- 2月28日(木)
- 観光地化されつつある。
今の所なんとか大丈夫だけど、
来年、再来年になったら、
宿もいっぱい出来るだろうし、
もっと物の値段が高くなると思う。
それから、すでに人は悪くなってる。
ボるし、しつこいし、うるさい。
昨日会ったインド人が、
寺院で結婚式をするから、
ぜひ来てって昨日言われたので行ってみた。
タイコとかで音頭を取りながら、
寺院を1周してきたみたい、
服にカラフルな飾り付けをして、
旦那の服と奥さんの服を縛って、
寄り添って歩いてる。
メシ食ってけって言われたけど、
忙しそうだったので断って、寺院を出た。
昨日はアホことばかり言ってた旦那だったけど、
今日はさすがに緊張してたみたい。
ヒンドゥ寺院で結婚式なんて、インドっぽくていいね。
ここはインドだけどさ。
結婚式の前に、寺院の前で見かけた日本人の女の子と、
岩山を越えたところにある寺院跡を見に行った。
その子は群馬県に住んでる、なかなか珍しい。
いくつか寺院跡があって、
グルグル見てまわったんだけど、
手直しはしてあるけどほったらかしって感じ、
そのほったらかし感がいい味出してる。
ツーリストもいないし、地元の人もいないし、
朽ちた寺院が作る日影でボケッとしてると、気持ちがいい。
風の音と鳥の声しか聞こえない、
風が気持ちいい。
すっごい雰囲気がいいから、
ついつい腰を下ろしてボケッとしたくなる。
今日はちょこっと見るだけにしようと思ってたんだけど、
結局夕日が沈むまでフラフラしてしまった。
南インドでは、今でも生きてる寺院を見て周ってきたけど、
ここは昔イスラムの勢力に徹底的に破壊されてしまったので、
1ヶ所を除いて、廃虚みたいになってる。
この辺は、大きな川だったみたい、
でっかい石が積み重なったりしてる。
そこにポツンと石柱とかが残ってる。
いいね、ここは。
すっごい雰囲気いいよ、気に入った。
- 3月1日(金)
- ハンピは日本人が多い、全部で10人位見かけた。
昨日の女の子と寺院で待ち合わせをしてたんだけど、
そこにもう1人日本人が現れて、
それから3人でジュース飲んでたら、
兄弟パッカーまで現れて、
みんなで昼過ぎまで喋ってた。
兄弟パッカーは、お姉ちゃんが20歳、
弟がなんと!18歳。
それから昨日の女の子とお姉ちゃんと一緒に、
チャリ借りて離れた所の寺院を見に行った。
ハンピの寺院群もホント凄い、
7個位見てまわったんだけど、
彫刻も素晴らしいし、変に手直しされてない所もあるし、
人はいないし静かだし、
日本人のパッカーが「ハンピはいいよ」っていうのが、
わかる気がする。
廃虚寺院が作る影で、
緩やかな風にあたりながら横になると、
ホント気分がいい。
でも、町の人間はダメだな、腐ってる。
- 3月2日(土)
- なんで遺跡を見て「凄い!」とか、
「まいった!」とか考えるかわかった。
俺は遺跡好きだったんだ。
エレファントスティブルに行って、
象の家を見て、ヴィッタラ寺院に行った。
ここは凄い、ここはホント凄い、まいった!
なんで昔のインド人は、
こんなに素晴らしいものが作れたのに、
なんで今のインド人はこんなにアホなんだろう?
この寺院はこのまま残してもらいたい、
変なふうに補修されるくらいなら、
このままゆっくり朽ちていった方が寺院も喜ぶぞ、
余分な事をするなよインド人。
本堂の裏に地下室があって綺麗な彫り物がそのまま残ってる、
光も当たらないし、風雨にもさらされないから、
作った当時のまま残ってた。
ホントすごい。
- 3月3日(日)
- べたぼめだなハンピ。
今でも生きてる寺院に行ってきた、
この辺ではここしかないはず、
バラモンとかちゃんといたし。
作り方は廃虚寺院とかと一緒で、規模は大きい。
本堂の前の石柱の部屋の天井に、
壁画が残ってた。
ボロボロになってる部分もあったけど、
色といいバランスといい、絵の内容といい、
いい感じ。
人がいっぱい通る所なんだけど、
寝っ転がって見入ってしまった。
- 3月4日(月)
- 遺跡づいてきた、
遺跡周りが楽しくてしょうがない。
不便な所にあるけど、パッタダカルにも行くことにした。
ハンピからホスペットへ、
それから4時間バスに乗ってバダミへ。
暑い。
もわっとした空気が体にまとわりつくいてるような、
暑い空気に体が圧迫されてるような感じ。
そういえば草や木もあまり生えてないし、
乾燥してるし、風が変わった。
デカン高原だ。
このだらーっとした暑さ、おかしいと思ったんだよね。
バスは何もないデカン高原をひたすら走る。
夕方バダミに着いた。
バス停に着いたのに、誰も俺に興味をしめさない。
不便だからあまりツーリストが来ないのかもしれない。
パッタダカルには泊まるところがないので、
とりあえずここに宿をとる。
宿も4軒しかないので2番目に安い宿にした、
それでも160Rsと高い。
- 3月5日(火)
- アイホーレっていう所にも遺跡があるらしので、
行ってみた。
アイホーレで面白かったのは、
町と遺跡が一体になってるところ。
遺跡のすぐ隣とか遺跡にくっついて民家があったりする。
観光客があまり来ないみたいで、
バスを降りてから帰りのバスに乗るまで、
10人以上俺の後ろをインド人がついてきた。
何を言うわけでもなく、
ただついてきて俺を終始観察してる。
それからパッタダカルへ。
ここの彫り物も凄い、
寺院がまとまってあるので見やすい。
いくつかの寺院は世界遺産に登録されてるらしい。
ハンピと違ってほとんどが浮き彫りだし、
綺麗に残ってる。
宿に帰って飯を食いに行ったら、
コバーラムビーチで一緒に魚を食った日本人女性がいた。
日本人がここに来るのも珍しいって宿のおやじに言われたのに、
こんな所で知り合いに会うとは・・・。
俺も彼女も酒が好きなので、
サイババアシュラムとハンピで飲めなかった分、
いっぱいビールを飲む。
- 3月6日(水)
- バダミも見所があるらしので行ってみた。
石窟が4ヶ所あったんだけど、どの石窟も素晴らしい。
1番左の石窟は仏教石窟だった、
1つ1つオリジナリティがある。
ここもすげー。
湖があって、その周りに寺院がいっぱいあったので見に行った。
バダミの遺跡は他の所にある遺跡と同じだけど、
このタイプの石窟は南インドにはなかったな、
エローラとかは、
たぶんこれを大きくしたような石窟なんだろう。
壁に細かくブッタをいっぱい彫ってるところとか、
中国の石窟に似てる。
東南アジアの昔が、俺の頭の中で繋がってきた、
面白くなってきたよ。
- 3月7日(木)
- 朝5時に起きてゴア行きのバスに乗った。
快調に走ってくれたんだけど、
フーブリを過ぎてすぐに事故った。
小さい車の横にぶつかったんだけど、
あと、30センチブレーキが遅かったら、
小さい車に乗ってた人は死んでたな。
そんな事もあって3時間遅れてパナジに着いた。
宿はどこも高いらしい。
教会の近くの宿にして、
バダミから一緒にきた日本人女性、
ゆみこさんっていうんだけど、
その人と一緒に、海の見えるガーデンレストランに行って、
ちょっと豪華な食事をして、
なんと!フォースターズがあったので、
しこたま飲んで、宿に帰ってまた飲んで寝た。
さすがに今日は疲れた。
- 3月8日(金)
- 町の人が面白い。
「ウェル カム トゥ ゴア」とか、
酔っ払いのおやじに言われたり、
ジーパンはいた英語ペラペラなインド人女性と話をしたり、
着いたときはパッとしなかったけど、
1日フラフラしてみて、結構気に入った。
とにかく酒が飲める、何でもあるのが嬉しい。
ここもインドじゃないみたいな感じ。
ポルトガルの植民地だったから建物が違うし、
ヒンドゥーじゃなくて、
キリスト教の人も多いし、
十字架のある教会が不自然じゃない町並み。
- 3月9日(土)
- バスでバスコ・ダ・ガマへ。
ウェイティングリストの電車のチケットだったので、
もしかしたら乗れないかもって思ってたんだけど、
普通にスリーパーだった。
なんか町を歩いてるだけで落ち着くんだよな、
インド特有の「喧騒」みたいなものが無いからかも。
たいした町並みでもないんだけど、
ブラブラ歩いてるだけで気分がいい。
14時の電車に乗ってプネーへ。
数日前に電車をイスラム教の人に燃やされて、
50人以上死んだから、
警察官と軍隊みたいな人達がいっぱい乗ってる。
電車の中でプネーに住んでるおばちゃん達にお世話になった、
気を使ってくれるし、食べ物も買ってくれるし、
英語もみんな喋れたので、退屈しなかった。
電車は渓谷みたいな所を走る、
滝とかあったりして、なかなか面白い電車の旅だった。
相変わらず、インドは色々な姿を見せてくれる。
- 3月10日(日)
- 3時頃寝て、4時にプネーに着いた。
全然寝れなかったので、
プネーで1泊しようと思ったんだけど、
さすがに4時じゃどこも開いてなかった。
バス停に行って、
アウランガバード行きのバスに乗ってしまった。
途中腹が痛くなってきて、
エローラの方に向いてひたすら祈ってた。
仏教石窟もあるからなんとかしてくれるだろうって、
自分自身を納得させた。
通じたのか、バス停で5分間だけ止まったので、
その間にバス停の有料トイレに行った。
人の顔を見て「5Rs」とかいいやがった。
普通は高くて2Rs、大体1Rs。
アホインド人め。
俺が金持ちになったら、
インドの有料トイレを全部買い取って、
外国人は1RS、インド人は100Rsに料金設定してやる。
眠さと暑さでクタクタだったので、
午後のほとんどを、風通しのいいレストランで、
ビールを飲んで過ごす。
- 3月11日(月)
- すっごい乾燥してる、この暑さ尋常じゃないよ。
部屋に水を撒いても全然効かない。
エローラに行ってきた。
さすがだね、おもいっきり観光化されるだけはある。
カイサラナータは凄い、ノミだけで彫って、
1世紀以上かけたらしい、
でも、変な手直しがしてあるのが残念だ、
今のインド人のバカさ加減がわかるよ。
石窟はカイサラナータを中心に右側が仏教石窟で、
左側がヒンドゥ石窟だった。
カジュラホみたいに、レンガで基礎を作って、
その上にコンクリみたいなやつを盛って彫ったんじゃなくて、
全部岩をくりぬいて作ってある。
石窟の中は左右のバランスがよくとれてる、
よく見ると、すっごい細かいところまで綺麗に彫ってある。
1000年以上前で、測るものもたいした物がなかった時代で、
しかも失敗できない1枚岩だ。
とにかく凄いよ。
- 3月13日(水)
- アジャンタに行って、ジャルガオンに行って、
電車に乗ってアーグラに行こうと思ってたんだけど、
ジャルガオン→アーグラの電車にいいのがなかったので、
アジャンタはツアーで行って、
アウランガバードからの
アーグラ行きの電車のチケットを取った。
だから今日はアジャンタのツアー、
ツアーって言っても、アジャンタに行って、
帰ってくるだけ。
アジャンタは仏教関係の壁画がいっぱい残ってた、
どちらかと言うと、普通。
おみやげ売りと、石窟で働いてる奴等がむかついて、
あまりいい印象ではない。
ブッダの物語が最初の石窟から最後の石窟の間で記されてる、
最後は入滅のブッダが彫られて終わってる。
作り途中で放棄された石窟とかは面白かったな。
- 3月15日(金)
- インドにいるムスリムの人と、
ヒンドゥの人が話し合いで、
今回の騒動を解決するらしい。
モスクを作っていいかどうかが今日決まるんだって、
何が起こるかわからないから、
ほとんどの店が閉まってる。
チェックアウトをして駅に行った、
ごっつい警官が、ごっつい銃持ってる。
「やる気十分じゃん」
時間通りに電車が来て乗ったんだけど、
俺の車両にはお客が5人しかいなかった、
警官は2人。
なんだか嫌な感じだけど、
広々とシートが使えるから、よしとしよう。
デリーで学生やってるっていうインド人の女の子と、
ずっと話をしてた。
サリーは着ないで、ジーパンにノースリーブにノーブラ、
胸の谷間を見せながら、ニコニコ話をする。
かなり挑戦的だ。
「最近の男はすぐに体よ」って言ってた。
そりゃそうだろ、インドでその格好だもん、
ヒンドゥ教のしきたりも何もあったもんじゃない。
宗教によって欲求を抑えられてる男がかわいそうだよ。
やっぱりデりーとか都会の方は違うね。
さすがインドはなんでもありだ。
- 3月16日(土)
- シーク教徒のおっさんに起こされた、
アーグラに着いたらしい。
リクシャでタージマハルへ、
そこから歩いて宿を捜して、ゆっくりする。
聞いてたより人がうざくない。
「アーグラは最悪だよ」って言われてたので、
かなり気合を入れてきたのに。
- 3月17日(日)
- 夜は意外と冷えた。
チャイを飲みに行ったら、奥の席に和永が座ってた。
この旅で会ったのは4回目、
4ヶ国で会ったのはこの子だけだ。
日本とオーストラリアを合わせたら、6ヶ国だよ。
タージマハルを見に行こうと思ってたんだけど、
夕方まで話をしてしまい、明日見に行くことにした。
少し離れた所に、入場料5Rsかかる公園があって、
そこの夕日が綺麗だって聞いたので行ってきた。
タージマハルが綺麗なシルエットになっていい感じ。
これがお墓だなんて言われなきゃわからないよな、
それにしても贅沢なお墓だ。
- 3月18日(月)
- 結局昼過ぎまでダラダラする。
アーグラフォートに行ってみた、
今まで古いヒンドゥ寺院ばかり見て周ってきたので、
城壁に囲まれたレンガ作りの城を見たときは、
かっこいいと思ったけど、入場料250Rsは高いな。
ちょっとした小窓から見えるタージマハルは良かった。
そのままタージマハルヘ。
さすがだな、かなり気に入った。
アホみたいな入場料の料金設定をするだけはある。
豪華で綺麗で全体のバランスもとてもいい、
これもまたインド人か・・・。
ちょっと動けなかった、口をポカンと開いて見入ってしまった。
これを作った人達は凄いね、
でも、完成した後に作った技術者達は、
腕を切り落とされたんだって、
同じ物を二度と作らせないためだったらし。
- 3月19日(火)
- アーグラからデリーへ。
距離が短いから1番安い電車のチケットを買った、
座れないと思ってたのに、
ちょうど椅子が空いてて座れて、
木の椅子だけど、結構快適な3時間だった。
和永が知り合いのインド人に、
部屋を貸してもらう約束をしてたらしく、
俺もそこに行かせてもらった。
高級住宅街にある一室でとてもいい感じ、
静かで、うざいインド人もいないし、
ホットシャワーもクーラーも水洗トイレもある。
アパートのオーナーとかが来て、
何か必要な事があれば何でも言ってくれと、
言ってくれる。
- 3月20日(水)
- とりあえず、和永を休ませる。
バカなので、
旅のスピードと自分の体のペースを合せる事が出来ない。
かわりに大使館に行って聞き込みをする、
パキスタンの大使館は門前払いだった、
日本大使のレターがないと中にも入れてくれない。
それから日本大使館に行った、
レターは3ヶ月出してないんだって、
まったく迷惑な話だよ。
大使館で親子パッカーに会った、
子供はたぶん8歳くらいで母親は30歳の女性。
パキスタンに行きたいけど、VISAがないから行けないらしい。
良かったカトマンドゥで取っといて。
和永はバカだけど料理「だけ」はうまい、
今の所ナンバー1。
キッチンがあるので日本風の味付けで、
色々なものが食べられるのはうれしい。
- 3月21日(木)
- イラン大使館に行った、休みだった。
何で木曜日に休むんだよ、
もうここでVISA取るのやめた。
そのままフラフラ歩いてたら、
コンノートプレースに着いた。
MACを発見したので、久々に食べる。
家に帰ってからビールを買いに行ったんだけど、
ホーリーの用意が始まってるみたい、
商店街に飾り付けとかしてあった。
それから住民の皆様はホーリーが待ちきれないらしく、
色々な所から水風船が飛んでくる。
外国人だから狙われる。
おちおち歩いてらんないよ、
ガキに水鉄砲で水かけられるわ、
自転車とかバイクに乗って水風船をぶつけてくるわ、
浮かれすぎるのもいいかげんにしとけよな。
絶対ホーリーの前にデリーを出てやる。
- 3月23日(土)
- 昼に家を出てニューデリー駅前のメインバザールへ、
宿を決めて溜まってたメールを打つ。
3時間やっても全部返せなかった。
ここのインターネット屋は、1時間10Rs/27円、とても安い。
安宿がいっぱいあるんだけど、
メインバザールっていうだけはあって、色々な物が売ってる。
人も大勢いてうざい。
人をかき分けるように歩いてるのに、
後ろからインド人に「ハシシ」とか、
日本語で「こんにちは」って言われると、むかつく。
- 3月25日(月)
- 電車に乗ってパタンコットへ。
またウエイティングリストのチケットを買ってしまった、
でも乗れた。
電車に乗って少し経ったら、喧嘩が始まった。
チケットを持ってない体格のいい3人組が、
チケットを持ってる人達の所を占領して、
話し合いから言い合いになって、
殴り合いになった。
ちょっとしておさまったんだけど、
警官みたいのが来たら、ワイロを渡したり、
ちょっと怪しい行動をとったり、
ホントインド人って馬鹿だ、くだらない。
- 3月26日(火)
- 9時にパタンコットに着いて、
かるくメシ食って、ダラムサラ行きのバスに乗った。
前に車が見えると、どうしても追い越したくなる
性格のドライバーに当たってしまった、
でも、インド人はみんなそうか。
急なカーブで隣が崖でもスピードを緩めない。
5時間でダラムサラに着いた。
ここはチベットの臨時政府があって、
亡命してきたダライラマ14世がいるところ。
カルマパも住んでる。
ヒマラヤ支流のダウラダール山脈がよく見える。
日影に入ると風が気持ちいい。雰囲気もGOOD。
- 3月27日(水)
- 夜中寒くて起きた。
雪をかぶった山も見えるし、
風も心地いいし、緑もいっぱいなので、
朝から気分がいい。
40分位歩いて滝を見に行った、
山の中を歩いてると、ネパールを思い出す。
同じヒマラヤ山脈だし、
あのゆったりした時間が戻ってきたような感じ。
それからチベット寺院に行ってきた、
その正面にダライラマの家がある。
ダライラマは今病気なので、謁見出来ないから、
庭を散歩してる所でも見ようかと思ったんだけど、
セキュリティーとかしっかりしてるし、
全然無理だった。
ここはインド人が少ないからいい、
最近インド人の顔を見るだけでむかつく。
チベタンのやさしい顔のほうがいい。
- 3月28日(木)
- 隣町まで歩いていった。
人もいないし山の中だから静かだし景色もいい。
ヒマラヤがよく見える芝生の上でゆっくりして、
ダラムサラに戻って、
「ルンタ」っていう喫茶店みたいな所に行った。
日本人がオーナーなんだけど、
中国政府に捕まって、
牢屋に入れられて拷問を受けたチベット人が、
もう嫌になって中国のチベット自治区を出て、
インドに亡命してきた時に、
行く所がないからしばらく世話するんだって。
仕事をあげたり、
コンピューターとか英語とかの教育してあげる組織らしい。
その喫茶店の売り上げと、寄付で全部やってるんだって、
ダライラマも毎年30万円位くれるらしい。
こんな所でも日本人が活躍してますね。
- 3月30日(土)
- バスで1時間くらいのところに、
カラマパ17世がいるらしいので、
また謁見に行ってきた。
相変わらず目つきが悪い。
わかった、この人は照れ屋さんなんだ。
スピーチしてるときも落ち着きがないし、
よく観察してみると、
みんなに見られてるのを恥ずかしがってる感じ。
- 3月31日(日)
- ダラムサラからシーク教徒聖地アムリトサルへ。
10時のバスに乗ってパタンコットに来た、
ここまで4時間。
バスを乗り換えてアムリトサルへ、
18時に着いた。
なんでこんなにかかるんだよ。
バスを降りたら客引きやらリクシャがいっぱい寄ってきた、
そこまではいつも通りだから許せる。
でも、ここのやつらは本当にしつこい、しつこすぎ。
ゲストハウスに行って国境が開いてるか聞いてみた、
クジャラート問題があって、
パキスタンとインド国境が閉まったって聞いてたんだけど、
どうやら開いてるらしい、とても嬉しいお知らせだ。
ゲストハウスには泊まらないで、
シーク教のゴールデンテンプルに行った。
巡礼宿があって異宗教でも、外国人でも泊めさせてくれる。
しかも宿も食事も無料。
体育館みたいな所に、
じかに座って待ってると、食事が配られる。
600人以上いたんじゃないかな?
お祈りしていっせいに食べ出す。お代わり自由。
- 4月1日(月)
- 無料朝飯を食べて、シーク教の博物館へ。
ここも無料。
シーク教の人達は体格いいのに、
意外とやられっぱなしの歴史なんだね。
近くの何とかガーデンにも行ってみたんだけど、
ここでだいぶイギリス軍に殺されたみたい。
ゴールデンテンプルを出て、駅の近くの宿にした。
パキスタン入国の準備をする。
国境に行くバスも電車も止まってるらしいので、
オートリクシャで行くしかない。
それでも行けるだけましか。
和永はVISAがないので、パキには入れない。
かわいそうだからインド最後だし、
タンドリーチキンとビールを奢ってやったんだけど、
久しぶりのビールが効いたのか、
自分が食べ終わったら、レストランで寝やがった。
「こいつとは一緒にイランに行かない」
イランは女の子の一人旅は不可能に近いらしい、
可哀相だからテヘランに飛んできたら、
一緒に周ってやろうと思ってたんだけど。
こんなバカ女とは周らないぞ。
≪NEPAL≪ ⇔ ≫PAKISTAN≫