- 2002年4月2日(火)
- インドからパキスタンへ。
国境近くのアタリっていう町まで行くバスは、
全部ストップしてるって聞いてたのに、
リクシャのオヤジに聞いたら、
「そこから出てるよ」って教えてくれた。
和永を残してRs12でアタリへ。
アタリからリクシャに乗って、ワガボーダーに来た。
俺が今までに国境のことを聞いた、
インド人100人以上と日本人数人は、
みんな間違ってる。
国境は開いてないだの、
今にも撃ち合いしそうな雰囲気だとか、
日本の外務省が危険度5を出したとか、
VISA持っててもパーミッションが必要だとか、全部嘘。
ここは軍隊なんか出てないし、
ポリスチェックもないし、
旅行者が全然こないから、
イミグレのオヤジにえらく歓迎されたし、
インド人もパキ人も普通に国境通ってるし、
銃を持った警官なんか2人しかいなかったよ。
とにかくスムーズに出入国できた、
イミグレのオヤジと世間話して、
チャイまでごちそうになった。
それからバスに乗ってラホールへ。
さすがイスラム圏、バスの真ん中に仕切りがあって、
前が女性用、後ろが男性用になってる。
1時間でラホールに着いた。
旧市街のバザールの方に宿があるって聞いてたので、
スズキって書いてある乗合テンプーみたいなやつで、
旧市街へ。
10Rs出したらお釣が来た。
リアリー?って聞き返してしまった。
感動した、パキスタンに来てよかった。
何も言わずにお釣が返ってくるっていう、
あたりまえの事が、ここ数ヶ月なかったので、
10Rs出して5Rsのお釣を貰ったとき、
その状況を理解するのに10秒かかった。
国境を越えたとき、眼鏡をいじってたら、
真ん中から真っぷたつに折れた。
「不吉だ」と思ったけど。
無事に入国出来たんだよね。
で、眼鏡を買いに行った。
ちゃんと目の検査をしてくれて、
レンズのクオリティーも選べて、
フレームも若者みたいなやつにして、
Rs400/約880円、とても安い。
チャイもうまいし、チキンカリーも安くてうまい。
チャパティーも大きくて安い。
物乞いはちょっとしかいないし、全体的にしつこくない。
人はいい。英語は意外と通じない。
インドからきたから、こう思うのかもしれないけど、
パキスタンGOODです。
- 4月3日(水)
- イラン大使館にVISAの申請に行ってきた。
バスで行ったんだけど、
地元の人が行き方をよく教えてくれる。
イラン大使館の前にパキ人が60人以上並んでたので、
印篭のようにパスポートを出して、
「ジャパニーズ」って言ったら、1番前に入れてくれた。
でも、フォームに記入しただけで、
10日後にまた来いだって、それから数日かかるらしい。
時間かかりすぎだろ。
旧市街のマーケット面白いね、雰囲気GOOD。
ヨーグルト屋の前で立ち止まって見てたら、
作り途中のヨーグルトをくれた。
うまかった。
それより、この汚い格好をしたビンボー旅行者に、
ニコっと笑って差し出してくれた、その心が嬉しい。
- 4月4日(木)
- どこに行っても男だらけ。
お店も物売りも駅に行っても90パーセント男。
女の人はどこで何をやってるんだ?
宿のやつらとか、昨日行ってまた今日行ったお店やつとか、
インターネット屋のやつらとか、
俺の体を触りすぎ、こいつら全員ホモだ。
女の子が町にいないから、男に走ったんだな。
今日は30人以上と握手したよ、
握手してるときに物欲しそうな顔をするな。
バンコクで作ったニセ学生証を持って駅に行った。
パキスタンは外国人にやさしい(25%割引)、
パキスタンは学生にもやさしい(50%割引)。
ニセ学生証には、東京大学って書いてある、
「東大で何を勉強してるんだ?」って聞かれたので、
イスラム教って答えたらチャイを奢ってくれた。
俺はムスリムでも学生でもない、ごめんなさい。
普通でも安い電車のチケットを、
さらに50%も割り引いてくれるとは、いい国だねぇ。
今日はいっぱいチャイを奢ってもらった、
宗教は何だ?ってよく聞かれるんだけど、
「ムスリムです」って答えるとチャイを奢ってくれる。
それから、インドの文句を言うとチャイを奢ってくれる。
試しに洋服屋のオヤジと話をしてるときに、
「ファッキンインディア」って言ったら、
Tシャツくれた。
- 4月5日(金)
- 割引証を持って、鉄道予約カウンターへ。
色々な所をたらいまわしにされて、
夕方やっと取れた、1日かかったよ。
この国は普通にショットガンを持った警察官が、
公共バスを利用するみたい。
その辺に銃を置いて昼寝とかしてるんだけど、
大丈夫なのかね?
そういえばお米をしばらく食べてないぞ、
お米見てないな、お米食べたい。
- 4月6日(土)
- ラホールは面白い、かなり気に入った。
バス、ミニバス、スズキは、もう完璧。
それから、何度行っても城壁に囲まれた旧市街は面白い。
旧市街にいたおっさんいわく、
ムガール時代に作った物らしい、400年位前だな。
旧市街をぐるぐる回ってたら、迷った。
とりあえず、チャイ屋があったので奢ってもらう。
その奢ってくれたおっさんが、
祈りに行くっていうのでついていったら、
バードシャヒーモスクに連れて行かれた。
その反対にはラホールフォートもある。
バードシャヒーモスクはとても広い、
そして綺麗で整然としてる。
10万人が一気にに祈れるらしい。
凄いぞ、いいぞ、パキスタン。
- 4月7日(日)
- 昨日からサマータイムになったみたい。
ローリーに行く。
駅に行って電車を待ってたんだけど、
始発なのにだいぶ遅れて電車が来た。
木の座席なんだけど、意外と快適だ。
周りのパキスタン人がやさしい。
それから電車を待ってるときに、
ポップコーンやらチャイを奢ってくれた、
パキスタン人の皆様。
もし、あなた達が日本に来たら、
それと同じ事を俺もします。
- 4月8日(月)
- みんな色々な所で祈りまくってますね、
1日5回も祈らなきゃいけないんだって。
駅のホームでも「祈りの場」があって、
長く電車が止まってるときは、みんな祈りに行ってる。
17時間でローリーに着いた。
乗ったときは快適だと思ったんだけど、
夜になるにつれ、どこからともなく人があらわれて、
空いてるスペースをフルに使って、寝だしてしまった。
みんないい人だから文句も言えない。
(色々なものを奢ってもらった)
通路全部に人が寝てしまったので、
トイレにも行けない。
こんな経験を中国でもインドでもしたな。
ローリーからスズキでサッカルへ、
インダス川を渡る。
サッカルからサッカルバス停へ、
サッカルバス停からラルカナへ、
ラルカナからラルカナ駅へ。
全部で2時間かかったんだけど、
乗り換えが多すぎる。
サッカルバス停から、ラルカナのバス停までの1時間は、
ハイエースに23人も乗った。
パキ人は体がデカイから、
ギュウギュウもいいところだったよ。
- 4月9日(火)
- モヘンジョ・ダロへ。
数年前の調査で、最初に作られたのは、
紀元前4000年頃だって事がわかったらしい。
4月だっていうのに、とにかく暑い。
2時間くらい見て歩いたんだけど、
ブッ倒れるかと思った。
これからもっと暑くなるんだって、
観光なんて無理だな。
遺跡を見てビックリしたのは、
下水がしっかりしてるところだ、
中国なんか今だって、たいした下水道がないのに、
ここは何千年も前にあったんだから凄いよな。
小さいけど博物館があったので入ってみた、
まだ解明されてない文字が彫られてる石がいっぱいあった。
帰りは、歩いてたらバスに捕まったんだけど、
どうしてこんなになっちゃうのかな?
と思うほど派手なバスで、
ローカリーな音楽をガンガンかけて、低速で走る。
- 4月10日(水)
- 夜中の3時にパッと目が覚めた。
強烈な下痢だった、それから吐いた。
怪しいアイスを安いからっていっぱい食べたからかも。
朝まで苦しんで、次に目が覚めたのは昼過ぎであった。
ここは暑いからサッカルで1泊することにしたんだけど、
サッカルも暑かった。
体力が落ちてるので、1日のほとんどを宿で過ごす。
夕方チャイを飲みに行ったら、
近くで床屋をやってるっていう親父に奢ってもらった、
急に髪の毛がうざくなり、
伸ばそうと思ってたんだけど、
またボウズにしてしまった。
今回は1厘にされた。
ヒゲも剃られた。
これはさっぱりしすぎたな、
色々なところから、チャイニーズ、
チャイニーって呼ばれるようになってしまった。
- 4月11日(木)
- 暑い。
日影から出たくない。
ジュースも1時間1本ペースだ。
1.5Lの水のを買った方が経済的なのはわかってるんだけど、
20分もすればお湯になってしまう。
電車に乗ってラホールに戻る。
電車のトイレから出てきたら、
10人くらいが通路で祈ってた、
身動きが取れず、突っ立ってるのも変なので、
一緒に祈ってみた。
席に戻って外を見てたら、
周りの人達が、自分達が買った夕飯を、
少しずつ分けてくれた。
いい人達だ、ちょうど腹減ってたんだよ。
- 4月12日(金)
- ある人は10時頃、ある人は4時頃、
車掌さんは8時にラホールに着くって言ってたんだけど、
朝5時に着いた。
同じ距離を走るのに、行きは17時間で帰りは13時間だよ。
すぐにアナルカリにある宿に行ったんだけど、
さすがに閉まってた。
チャイ屋と新聞屋で時間を潰す。
アザーンが流れて、人がチラホラ外に出はじめた、
たまには早起きもいいもんだ。
この前、俺にヨーグルトをくれた店に行って、
今日はラッシーを貰った。
イラン大使館に行ってみたんだけど、
金曜日なのに閉まってた、
でも、土、日と開いてるらしい。
なんだかかったるかったけど、博物館にも行った。
なかなか良かったんだけど、
これほとんど盗品だろな。
- 4月13日(土)
- イラン大使館に行かなきゃいけなかったんだけど、
寝坊した。昼過ぎに起きてしまった。
今日で26歳。
考え方が少し変わったかも。
保守的な考えになりつつある、
生活やこれからの事を、
もっと具体的な形として表わしたくなってきたかも。
今はたぶん頭打ちだ。
沈んだら戻ってこれなそうだから、気を付けよう。
それでも旅はやめない。
- 4月14日(日)
- 今日はしっかりイラン大使館に行ってきた。
何のVISAが欲しんだ?
って聞かれたので、ツーリストVISAって答えた後、
昨日誕生日だったので、
長い滞在期間を僕にプレゼントして下さいって言っといた。
笑いながら「OK」って言われた。
OKって言ったんだから、
滞在期間15日以上をよこせよな。
パスポートを2日ほど大使館に預けなければいけないんだけど、
体の1部がなくなったような感じ。
パスポート入れが軽くて、
歩いてるときに「うぉー!」パスポートがないっ!
って思ってしまう。病気だ。
寝てるときもパスポートは放さないからな。
- 4月15日(月)
- 最近フルーツジュースにはまってて、
1日5杯位飲んでるんだけど、
中ジョッキで10Rs(約22円)と安い。
バナナジュースをいつも通り頼んで待ってるときに、
ふと作ってる所を見た、
殺人的な量の砂糖を入れてるではないですか。
「ノー」って叫んで、いつもこんな量を入れてたのか?
って聞いたら「イエス」っていいやがった。
知らなかった。
あんなの毎日飲んでたら、体おかしくなっちゃうよ。
銀行にイランVISA代を払いに行った。
13時40分に行ったら、
10分前に営業時間は終わったって言われた。
おととい誕生日だったので、
その10分を俺にプレゼントしてくれって言ったら、
笑って処理してくれた。
これは使える。
- 4月16日(火)
- やっとイランVISAが出た、
なんと21日も出してくれた。
ペシャワールで取る21日が、
最近では1番長いって聞いてたんだけど、
ラホールでも21日出してるんじゃん。
誕生日が効いたのかな?
長かったなラホール。
アナルカリバザールを拠点に動いてたから、
アナルカリにいるパキスタン人と、だいぶ仲良くなった。
みんないいやつらばかりだった。
それにしても外国人を見ないな、
パキスタンに入国してから、
1回も外国人(日本人も)を見てないよ。
テロの問題とか、インドとの関係悪化が原因かも。
- 4月17日(水)
- ラホールからラワールピンディーへ。
バスもいいし、何といっても道がいい。
韓国のダエウがお金を出して、
ラホールからペシャワールまでの、
高速道路を作ったんだって。
- 4月18日(木)
- 日本からの救援物資を取りに、
イスラマバードのGPOに行ってきた。
さすがに計画的に作られた町だけはあって、
わかりやすかったり、
綺麗だったりするところはあるけど、
何もない。
大使館に行ったり、パスポートオフィッスに行くくらいで、
首都イスラマバードでやる事はないな。
- 4月19日(金)
- ギルギットに行こうと思ってたんだけど、
数日前から下痢をしてるのでやめた。
この宿には日本人が8人もいるので、
なんだか居心地がいい。
- 4月20日(土)
- フリーカメラマンの久保田さんが誕生日なので、
日本人が集まってパーティーをする。
久保田さんは5年前からアフガニスタンを撮ってたんだけど、
アメリカの攻撃の後、難民キャンプを見に行って、
まったく救援物資が届かず、
飢えや病気で戦争とは関係のない人達が死んでいくのを見て、
1人で動いて自腹きったり、
インターネットで寄付を集めたりして、
キャンプにいる人達を助けてるんだって。
ちなみに日本の自衛隊が持ってきた毛布は、
ペシャワールのマーケットで新品のまま売られてた。
リカーパーミットも取らないで、
1人の日本人がビールを買ってきた。
ムスリムはビールを飲まないくせに、
100年以上前から作ってる「マリービール」を、
朝6時まで飲んで、ベロベロになる。
半月ぶりのアルコールはさすがに効いた。
- 4月21日(日)
- 久保田さんが出演した日本のニュースのビデオを見に、
マーケットに行ってきた。
ビデオの内容は、
救援物資が行き届かない難民キャンプのやつだったんだけど、
ちょっとウルウルしてしまった。
飢え死にじゃん。
それにしても、自分の命をかけてアフガニスタンに入って、
難民を助け、日本にいる人達にアフガニスタンの現状を伝える。
出来ないよな、普通。
- 4月23日(火)
- 日本大使館にレターを貰いに行ってきた。
囚人が面会する時に使うような部屋に入れられて、
なぜアゼルバイジャンに行きたいか、
細かく聞かれた。
とりあえず出してくれるみたい。
イスラマバードの日本大使館は、
「感じ悪い」と有名なんだけど、その通りでした。
- 4月25日(木)
- ラワールピンディーから、ギルギットへ。
ずっと下痢してるので、薬を飲んでバスに乗る。
それにしても恐ろしい道だこと。
道が悪くて辛いとかはないんだけど、
ガードレールのない狭い道をガンガン走る。
落ちたら300m以上はバスと一緒にフリーホールを体験できるな。
それから、落石じゃなくてガケ崩れだよ。
ちょっと前に崩れたばかりっぽい所がいっぱいあって、
数人がバスから降りて、
石をどけたりバスを誘導したりしてる。
ふと上を見ると、
大型バスを一発でペシャンコにしてしまえる位デカイ石が、
今にも落ちてきそう。
盗賊もよく出るらしい。
途中銃を持った警官が乗り込んできた。
これはすべて「運」だな。
- 4月26日(金)
- 早朝ギルギットに着いた。
16時間乗って、2時間しか寝れなかった。
恐かった。
でも、バスを降りて周りの景色を見たときは、
来てよかったって思ったな。
谷なんだけど、スケールが大きい。
スズキに乗ってギルギットの町中へ、
それから宿に行ったら、
ネパールのアンナプルナB.Cで会った、
ヒロさんがいた。
トレッキングをしに来たらしい。
ここの町の人達もいい感じだね。
なんだか「あたたかい」って感じ。
- 4月28日(日)
- ここはヤバイわ。
何もせずに1日が終わってしまう。
この壮大な自然の中にポツンといると、
頭の中が真っ白になってしまって、
何も考えられなくなってしまう。
たまに「あぁいい風」とか、
「あの雲成長早いな」とか、
頑張って考えてもその程度。
- 5月4日(土)
- ナンガーパルバットのトイレッキングに行きたかったので、
人が集まるまで待ってたら。
カラチに留学してて、
ウルドゥ語がペラペラなしんさん。
日本で山岳救助隊をやってる、
文学オタクのてつさん。
アンナプルナで会った、
ヒロさんが一緒に行ってくれる事になった。
っていうかそれだけしか旅行者がいないし。
トレッキング用品を買ったり借りたりして、
準備をする。
それにしてもツーリストが少ない。
さすがに欧米人は全然見かけないけど、
日本人ツーリストもパキスタンに、
たいしていないんじゃないかな?
中国の国境が1日に開いたのに、
誰もカシュガルから来ないよ。
- 5月5日(日)
- 朝7時に起きるって言ったのに、
みんな寝坊して10時に起きてしまった。
1回は諦めたんだけど、
しんさんがバス停まで行って確認したら、
13時のバスがあるっていうので、
それに合わせて宿を出る。
アストールまで5時間ジープ、
良く壊れるジープだった。
今日はアストールで1泊する。
谷にある村で雰囲気がいい。
あまり外国人が来ないみたいで、
村の人の視線がこちらに集中してる。
- 5月6日(月)
- タルシンまで行く。
その辺にいたトラックが、
タルシンまで行くっていうので乗せてもらった。
2時間悪路を立ったまま乗る。
天気いいし、景色も最高だったな。
タルシンはいい所だ。
映画に出てくる、ヨーロッパの田舎みたいな感じ。
畑は牛が耕してて、何百年も前からありそうな石作りの家。
人はのんびりしてて、目の前には真っ白な山。
- 5月7日(火)
- 昨日の夜から降り出した雨が、
夕方まで降り続いてしまったので、
タルシンでもう1泊する事にした。
この村に2個トレッカー用の宿があって、
この村の先にはもうないんだけど、
今年はまだ数人しか泊まり客が来てないらしい。
パキスタンも観光業でメシ食ってる人達は、
大変だよな。
- 5月8日(水)
- 雨はあがって、雲は少しあるけど出発した。
1キロ位の氷河を渡って、
ルパルっていう小さな村で昼飯を食べる。
この辺はムスリムでもシーア派なので、
女の子は俺らを見かけると、
すぐにショールで顔を隠してしまう。
小さい女の子でも顔を隠しながら走って逃げちゃうし、
なんだか歓迎されてないような気がするけど、
これも宗教であり文化だからしょうがないな。
そのかわり、男の人はじーちゃんでもガキでも良くなつく。
山とシャルワールカミースを着た人達が、
なんだかしっくりきて、バシバシ写真を撮ってしまった。
3400m位なんだけど、
空気が薄くてすぐ息があがってしまう。
フラフラしながらポリッシュベースキャンプに着く。
寒いし風も強いので、
大きい岩の風下にテントを張って、
木を集めて火を焚いた。
ここで4000mの高度差のある、
ナンガーパルバットが見れるはずだったんだけど、
今日は雲に隠れて見えない。
- 5月9日(木)
- 昼過ぎても雨はあがらなかった。
17時頃焚き火しながら、ふと山を見たら、
雲がどんどん上がっていって、
1時間で雲が1個もなくなってしまった。
凄いよ。
ベースキャンプからナンガーパルバットの頂上まで、
4000mの高度差だからな、
見上げすぎて首が痛くなる。
それから山に向かって歩いて氷河まで行ったんだけど、
落石は止まらないし、山の中腹では雪崩が起きてるし、
モレーンの上に雪がまだ4m位あったので、
渡れなかった。
同じ所に帰って、もう1泊して、
明日タルシンに帰る事にした。
寝る前に星を見たんだけど、
綺麗だったな。
山も星の光だけで見える。
- 5月10日(金)
- ベースキャンプでゆっくりして、
タルシンに向かう。
ルパル村の民家の庭で昼飯食ってたら、
その民家からおっさんが出てきて、
ふかしたジャガイモをくれた。
すっげーうまかった。
今日は天気が良かったから、
歩いてても気持ちがいい。
行きに雲に隠れてて見えなかった山も、
バッチリ見えて、穏やかな風の中歩いた。
自然を相手にするのは難しいけど、
条件が揃えば、ホント大自然の中って気分がいい。
- 5月11日(土)
- タルシンから、乗合ジープの荷台に乗って、
2時間でアストール。
途中の景色はやばいくらい綺麗だった。
この辺はちょうど新緑の始まりで、緑が綺麗だった。
エメラルドグリーンに見えたな。
アストールからジャルコットに行って、
それからギルギットへ。
肉をしばらく食べてなかったので、
アフガニスタン料理屋に行って、
カラヒー、ティッカあたりを食べまくる。
- 5月14日(火)
- 昨日ナンガーパルバットの北側に行くはずだったんだけど、
やはり寝坊した。
しかも、他の宿にいる人と待ち合わせをしてたのに、
起きれなかった。
その人をこの宿に1泊させて、
今日やっと出発する事になった。
ヨーロッパから来た明美さん。
フンジャラーブ峠を通って、中国に行くらしい。
イランを女一人で抜けてきたツワモノ。
もう1人はハーレで世界一周をしてるカメラマンの林さん、
バイク雑誌にも旅行記を書いていて、
93年から旅をしてる。
バス停に行ってタト行きのバスに乗ったんだけど、
ライコットで降ろされた。
バス停のオヤジに騙されたな。
ライコットではジープが待ってて、
タトまで行ってくれるって言うんだけど、
1台1200Rsとふっかけてくる。
タトまでは距離もあるし、ずっと上りなので、
しょうがない1200Rsで乗る事にした。
1時間半位でタトに着いたんだけど、
なんだか嫌な感じの村で、村人も変なのが多い。
そこで、山小屋みたいなオンボロの小屋を借りた。
この村では嫌な思いばかりした、
パキスタンで初めてだ。
この村が変なのは、
どうやらムスリム同士の抗争が原因らしい。
シーア派とスンニー派が戦ってるんだって。
- 5月15日(水)
- タトからフェアリーメドゥへ。
3時間くらい登ってフェアリーメドゥに着いたんだけど、
キャンプサイトとか山小屋とかあって、
拍子抜けしてしまった。
何もないと思ってたので、
テントとか食料を全部持ってきたのに。
ナンガーパルバットの北側を見る。
やっぱり南側とは迫力が違うけど、美しい山だな。
山小屋はいっぱいあるんだけど、
1つしか開いてなくて、
そこの前でテントを張らしてもらう。
なかなかいいやつらで、野菜とか薪もくれた。
- 5月16日(木)
- 寝ちがえた、背中が痛い。
ほかの4人はもっと上の見晴らしのいい所に行って、
俺は歩くと痛いので、近くの氷河を見に行った。
氷河の先端に行ったんだけど、
高さが25m位あって、その中に川が通ってて、
水の流れてる所は3m位の洞窟になってる。
中に入りたかったんだけど、
落石が多くて近くによれなかった。
25mの高さから落ちてくる石は、
小石でも頭に当たれば一発であの世行きだな。
山の中にいるだけはあって、夜は星が綺麗だ。
- 5月17日(金)
- ギルギットに帰る。
タトまで2時間。
それから昼飯食べて、ジープで来た道を歩いて下る。
タトの村のはじっこに1台だけジープがあって、
乗ってけって言われたんだけど、
800Rsとまたまたふっかけてきたので、
歩いて帰った。
景色もいいし、
途中でブラックトルマリンも拾ったし、
暑かったけど、気持ちのいいトレッキングだったな。
ライコットからジャルコットまで、
大型トラックをヒッチしたんだけど、
なぜか荷台でもなく、
運転席の上の派手派手な飾り付けの上に乗せられた。
そこがまた最高の場所だったんだ。
カラコルムハイウェイを特等席で見せてもらったよ。
- 5月20日(月)
- カリマバードに行く。
お世話になった、
マントゥ屋のオヤジに時計をプレゼントしてから、
バス停へ。
カラコルムハイウェイのGOODな景色を見ながら、
カリマバードまで2時間。
ハイダー爺の宿にお世話になる。
- 5月22日(水)
- ラカポシベースキャンプを目指す。
カリマバードからアリアバードに行って、
ギルギット行きのハイエースに乗って、
KKHの途中で降ろしてもらって、
そこから歩いてミナピンへ。
とりあえずここで1泊。
ミナピンはポプラの木がいっぱいあって、
緑がたくさんある綺麗な村だ。
- 5月23日(木)
- ちょっと曇りだけど出発した。
登りがキツかったな。
夕方頃見晴らしがいい所に着いて、
そこからベースキャンプまでは200m位なんだけど、
土砂崩れで道が無くなってて、
そこから先へは行けなかった。
そこから10分また下って、
風雨の当たらなそうな所を見つけて、
テントを張る。
それにしても寒い。
山から吹き降ろしてくる風で、
しかも氷河の上を通ってくるから、
風がメチャメチャ冷たい。
ミナピンのゲストハウスで、
日本の登山隊が置いてったという餅と醤油を貰ってて、
焚き火で焼いて食べた。
おいしかった。
メチャメチャおいしかった。
一緒にトレッキングに行ったてっちゃんは、
泣いてた。
こう毎日同じ味のチャパティ(パン)とダル(マメ)
ばっか食わされてると、
日本の醤油1滴でも感動する。
- 5月24日(金)
- 朝から天気がいい。
ベースキャンプの近くのビューポイントに行った。
ラカポシとデュランから大きい氷河が出来てて、
氷河が谷を下ってる。
物凄い氷河。
地元の人が、
この辺だったらラカポシの氷河が凄いぞって言ってたけど、
これほどの物とは思わなかった。
ラカポシもデュランもホント綺麗だ。
しばらくのんびりして、テントに帰って昼寝して、
山を下りた。
カリマバードに着いたのが夜だったので、
ハイダー爺の宿には夕食がなくて、
ちょっと高級なレストランで打ち上げをする。
密造酒のフンザパニーを売ってくれたので、
しこたまのむ。
またまた1ヶ月ぶりのお酒でフラフラになった。
っていうかこの酒、
メチルアルコール臭いんですけど。
昔は死んだり失明した人がいたらしい。
- 5月26日(日)
- パスーに行こうと思ってたんだけど、
やめた。
ミナピンの村からちょっと下った所に、
ラカポシが良く見える所があるって聞いたので行ってみた。
景色もいいし天気もいいし、
ラカポシは目の前だし、
午後のほとんどをそこで過ごす。
- 5月28日(火)
- パスーへ。
とってものんびりした村だな。
農作業してる女の子にあいさつをすると、
目をそらして恥ずかしそうに小さな声で返してくれる。
俺が「アッサラームアレイコム」
女の子「アレイコムアッサラーム」って感じ。
それがまたかわいい。
また言葉が変わった。
ワヒ語らしい。
カリマバードはブルシャスキー語だった、
パキスタンはウルドゥ語、
これはインドのヒンディー語とほとんど同じ、
ラホールはパンジャビー語、
チトラールはチトラリー語。
さすがにここまで来るとわからないね。
- 5月29日(水)
- トレッキングに行く。
バトゥーラ氷河に行って、
ユンズバレーを通って、
パスー氷河を抜けて5時間。
まぁまぁの景色だった。
ちょうど遊牧民の方たちが、
ヤギを連れて夏村に移動する日だったみたいで、
途中で会って話をしてたら、
チャイをごちそうしてくれた。
意外と早く帰ってきたので、
カリマバードにそのまま行こうと思って、
荷物まとめて道路で待ってたんだけど、
7時間待って1台も通らなかった。
宿の主人、イザトラ爺と俺と2人しかいないので、
2人で夕飯を食べて、昔話で盛り上がる。
- 5月30日(木)
- イザトラ爺に別れを告げ、
3時間道路で待って車をヒッチした。
カリマバードに帰って、
フンザパニーを飲む。
- 5月31日(金)
- シャンドール峠を越えたいので、
ギルギットに戻って、乗合ジープを探す。
- 6月2日(日)
- シャンドール峠を通って、
チトラールに向かう。
昨日見つけた乗合ジープが、
テルっていう町まで200Rsで乗っけてくれるっていうので、
それに乗って10時頃出発した。
荷物代を取るとか取らないとかで喧嘩したけど、
「じゃー乗らない」って言ったら、
荷物代は無しになった。
とっても危険な道で、すっごくデコボコで、
ジープには荷物と人を満載で、
10時間走った。
結局テルっていう町の何個か手前の、
バンダールっていう町で降りて、
そこで1泊。
今日の移動は疲れたし辛かった。
それにしても凄い道だったな、
運転手も下手だったし。
俺は外国人だから、
ポリスチェックをしなきゃいけなかったんだけど、
5回もパスポートナンバーとか名前とか書かされたよ。
- 6月3日(月)
- 今日出ようと思ってたんだけど、
疲れが残ってるのでやめた。
シャンドール峠は富士山と同じくらいの標高がある、
ますます疲れそうだし、ここでもう1泊。
鱒が釣れるっていうので、
竿を持ってバンダールレイクへ向かった。
途中学校があったので寄ってみたら、
えらく歓迎され、11歳組の授業をやらされる。
それにしてもすごいなと思ったのは。
11歳組みは全部の授業を英語でやってるらしい、
こんなガキの頃から、
英語を使ってたら、よく覚えられるだろうな。
それからバンダールレイクに行って、
川沿いを通って宿まで帰ってきた。
この村もいい景色だ。
川の水はなぜか緑で、
広くはないんだけどウネウネしてて、
川の周りにはポプラがいっぱいある。
俺が想像してたフンザはこんな所だった。
村人は全員ニコニコしながら挨拶してくれるし、
子供達は好奇心旺盛で、
俺が歩いてるだけで、30人位後ろをついてくる。
好きだなこの村。
- 6月4日(火)
- チトラール方面に向かう。
10時頃ソーラスプルに向かうジープが来たので、
それに乗る。
ジープの荷台に立って乗る事4時間、
シャンドール峠のてっぺんに着いた。
だだっぴろい高原で、パーっと開けてる。
ここの景色もすげぇ。
毎年7月に行われるポロのシャンドール決戦、
東のギルギット対西のチトラールの、
試合会場を作ってた。
そこで少し休んでから、峠を下りだしたんだけど、
ジープが壊れた。
みんな降りて、
ジャッキアップしてタイヤを引っ張ってみたら、
シャフトごと抜けてしまった。
デフの所から、折れてしまったみたい。
もう、動かないらしい。
ジープに乗ってたみなさんと、
次の村まで1時間半位歩いた。
今日のジープも辛かった。
ジープの荷台の小さいスペースに、
大人15人が立って乗った。
でも、みんな陽気なやつらばかりで、
景色もよかったし、車は壊れてしまったけど、
なんだか楽しかった。
- 6月5日(水)
- 朝早くからチトラール方面行きのジープを待ってたんだけど、
全然来なかった。
3時頃やっと来て、
マスツージまで2時間。
そこで降ろされて、
次のジープを2時間後に捕まえて、
ブニまで2時間。
暗くなってきたし、
疲れたのでブニで1泊した。
- 6月6日(木)
- チトラールまで2時間、
久しぶりのアスファルトに感動する。
チトラールにはアフガニスタン難民がいっぱいいた。
アフガニスタンがとても近いことを実感する。
レストランは、床に座って食べるアフガン式で、
プラオーの味がいい。
ここまで過酷な移動だった。
でも、パキスタンの1番いい所を見せてもらった気がする。
景色も良かったし、
素朴で人懐っこい村人達の笑顔は忘れられないな。
ちなみにパキスタンとインドが戦争して、
パキスタンが負けてインド領になっても、
シャンドールの人達は、
たぶん半年くらいは気づかないんだろうな。
気づいても、えっ?今インドなの?そうか。
で、終わりそう。
- 6月7日(金)
- チトラールからカラッシュバレーヘ、
カラッシュバレーのカラカールっていう町で1泊。
ここにいるカラッシュ人はムスリムじゃない。
女性はカラフルな民族衣装を着てて、
カメラを向けると「5Rs」って言ってくる。
パキスタンで唯一ここだけ異教徒の村らしい。
それからこの人達はお酒を飲むことを許されてて、
外国人にも売ってくれる。
カラッシュワインって呼んでるんだけど、
フンザパニーと違って、
フルーティーでうまくて安い。
- 6月9日(日)
- ワインを飲みすぎて起きたのは12時頃、
朝飯と昼飯を一緒に食べてたら、
10円玉位の大きさの雹が降ってきた。
30分後には、真っ白になってしまった。
カラッシュの人達は、その雹を一生懸命食べてた。
ちょっと下って、ジープを捕まえて、
チトラールに戻る。
- 6月11日(火)
- 朝早く起きて、
ペシャワール行きのハイエースに乗った。
3500m位の峠と1個越えたんだけど、
ハイエースに荷物と人を満載してたので、
車が登れなくて、
途中何度も車から降ろされて歩かされた。
この11時間もキツかった。
アフガニスタンとの国境付近を通ったから、
ちょっと恐かった。
どうみてもタリバンの残党だろうってやつが、
ゴロゴロいたし。
トライバルエリアだから、
その辺に武器工場とかもいっぱいあるだろうし、
なんだか町の人達の目も怪しかった。
- 6月12日(水)
- ペシャワールは暑い。
昼間はあまり動けないほど暑い。
今泊まってる宿に、
アメリカ人とイギリス人の男の人と、
スウェーデン人の女の子がいて、
1日中マリファナ吸っちゃってるんだけど、
明日アフガニスタンに行くんだって。
こいつらは確実に殺される。
- 6月14日(金)
- ワールドカップの日本対チュニジア戦を見た。
勝ちましたね、
決勝トーナメントに行くことになったよ。
ペシャワールは何でも売ってる。
麻薬、銃、密輸品。
- 6月16日(日)
- ペシャワールから、ラワールピンディーへ。
東側パキスタンをぐるっと一周してきたことになる。
2ヶ月もかかってしまった。
ピンディーに戻ってきて、
見たことのある旅人が数人いた。
アフガニスタンに行ってた「勇者様」達だ。
まさか生きて帰ってくるとは思わなかった。
- 6月23日(日)
- 気がついたら1週間もいてしまった。
ピンディーなんて何もないんだけど、
ワールドカップを見にケンタッキーに行って、
金持ちパキスタン人にいっぱい奢って貰ってた。
クエッタに行く。
電車で35時間かかるらしいので、
バスで行くことにした。
昼の12時に出たんだけど、
すぐに寝てしまって、
次に起きたのは、お祈りの時間で、
みんなお祈りに行っちゃったから、
俺も外に出たんだけど、砂漠だった。
何もない。
- 6月24日(月)
- トライバルエリアを突っ切るから、
揉め事にならなきゃいいなって思ってたんだけど、
夜中に起こされて、荷物チェックをされた。
周りでは乗客とトライバルエリアの警官みたいのが喧嘩してる、
どうやら乗客の人達は、
俺を助けるために喧嘩してたらしい、
眠かったから「アイムジャパニーズ、グッドナイト」って、
意味不明な事を言ってバスに戻った。
それにしても長い。
昼過ぎてるのにまだ着かないよ。
しかも休憩が、お祈り以外ほとんど無いから、
食事も全然とれない。
15時にクエッタに着いた、
26時間もかかった。
クエッタはピンディーとかペシャワールみたいな、
ベトベトした暑さじゃなくて、
カラッとした暑さなので助かる。
ムスリムホテルっていうところに、
泊まったんだけど、
バンコクで半年以上前に会った友達が、
ここの情報ノートに俺充てのメッセージを残してくれてて、
なんだか嬉しかった。
- 6月25日(火)
- イランリアルを作りにマーケットに行ってきた。
噂の「アフガンマジック」を見せてくれる店に行ったんだけど、
1分で交渉決裂して、普通の両替屋で替えといた。
1ドルが7921リアルで1番大きいお金が10000リアル、
200ドル替えたから、10000リアルが約160枚。
こんな札束持って町中歩けないよ。
18時にタフタン行きのバスに乗った、
お祈りの時間にバスを降りて、
ゆっくり外を見たんだけど、
砂煙で真っ白だった。
太陽も砂漠の砂煙でうっすらとしか見えなくて、
なんだか、遠くに来たなって実感したよ。
とにかく暑い。
それにしても、ここが同じ地球だとは・・・。
砂漠の真ん中にポツンと、
砂を固めて作ったような家が2、3軒あったりする。
こんなところで何やってるんだろう?
≪INDIA≪ ⇔ ≫IRAN≫