2002年6月26日(水)

16時間で国境の町タフタンに着いた。

パキスタン人が20人くらい出国待ちしてたんだけど、
俺を優先して先に手続きしてくれた。

パキスタンは面白かった。
いいやつ多いし、見所も沢山だった。

イランに入国、
荷物はノーチェック。
ミルジャワからザヘダンっていう町まで、
ピックアップトラックをヒッチした。

相変わらず砂漠だけど、道のよさに感動する。

ザヘダンからバムまで5時間、
まだまだ砂漠である。
窓を開けると、とてつもない熱風が吹いてくるので、
開けられない。
でも、疲れてたのか、
閉めっきりのバスでめちゃめちゃ暑いのに、
汗をダラダラかきながら、寝てしまった。

首筋にあせもが出来てしまった。

バムに着いてフラフラしながら宿に行った。

6月27日(木)

そうとう疲れてます、下痢だし。

イランの特にバムは、
人が悪くてよく石とかも投げられるって聞いてたんだけど、
みなさんめちゃめちゃいい人じゃない、
かなり警戒してたんだけど、
みんなフレンドリーだよ。

英語はまったく通じないけど。

それから物があふれてます。
バムってイランでも田舎の方だと思うんだけど、
何でもあるしスーパーもあるし、
すっごい都会に来た気分。

サンドイッチ約30円、
1日3食食べてもしばらく飽きないな。
何も味の付いてないサンドイッチが、
こんなにうまく感じるとは、
パキスタンでそうとうひどい物を食べてたんだろう。

死者の町、アルゲバムに行ってきた。

土で作った迷路みたい。
凄くよかったんだけど、
修復っていうか、
増築って言った方が正解なんじゃないかと思うような
手直しがしてある。

城下町は迷路みたくなってて面白い。

お城跡と城下町の間にチャイハネがあったので休んだ、
なんだかとても雰囲気がいい。

マシュハドから来たっていうイラン人観光客が、
水たばこを吸ってて俺にも勧めてきた、
喫茶店で水たばこなんてお洒落だね、
それがイランのチャイハネなんだろうけど。

アルゲバムでイラン人観光客に写真を撮られまくった俺。
笑顔で応対してたけど、

「見せものじゃないんですけど」

帰り道道端の日陰で休んでたら、
イラン人がお金くれた。
何言ってるかわからなかったけど、
俺のTシャツを指してたから、
ボロいからこの金で買い替えろって
言いたかったのかもしれない。

勘違いするなよイラン人。
金が無いんじゃなくて、
必要ないから買い替えないだけなんだぞ。

せっかくお金を貰ったし、
言われてみれば俺より汚いイラン人なんていないし、
やっぱりTシャツを買って帰った。

6月28日(金)

疲れは取れてないけど、
ケルマンまで3時間らしいので出発した。

南アジアの国と違って、
道もいいしバスもいいし、
フラッと出ていけるのがいい。
南アジアの移動は、
体力と気合と運が必要だったからな。

バス停まで歩いてたら、
車に乗ったファミリーに声をかけられた。
ケルマンって言ったら、乗せてくれた。

ラッキーだ。

150キロ位スピードを出してて、
なんと2時間でケルマンに着いてしまった。

とりあえずバス停で降ろしてもらって、
ジュースを飲んでると、
イラン人が集まってきた。
ジュースを飲み終えて、
ペルシャ語で「宿」って言ったら、
俺が連れてってやるみたいな事を言ってるオヤジがいて、
そいつが車でずいぶん高そうなホテルに
連れてってくれたんだけど、
最初の言い値が20ドルで、
「3ドル以下じゃないと泊まらない」
って言ったら、本当に3ドルになってしまった。

なんていいやつらなんだ、
なんていい国なんだ。
これが上野で偽造テレホンカードを売ってたイラン人か?

部屋だって日本だった1万円以上する部屋だし、
チャイはただで、電話すれば部屋まで持ってきてくれる。

そういえばチャイが変わった。

呼び名はチャイだけど、ミルクが入ってない。
砂糖も角砂糖で、口に含みながらチャイを飲むらしい。

ヨーロッパのティーに近づいてきたぞ。

6月29日(土)

バザールに行ったり、
近くにあるモスクに行ったりした。

バザールの中に有名なチャハネがあって、
行ってみたんだけど、
なかなか雰囲気はいい、
だけど、チャイハネのくせして入場料を取りやがった、
しかも外国人料金。

アジアの、あのムッとした人の熱気がなくなった、
整然とした町並み、同じように裕福な人々、
張り合いがないっていうか、
しんみりヨーロッパが近づいてきたんだなと思った。

宿に帰ってサッカーを見て、
バス停に行くために宿を出た。
走ってたバイクを止めて、
「バス停」って言ったら、ケツに乗っけてくれた。

バス停に着いたら英語が喋れるやつがいて、
全部手続きをしてもらった。
そしてジュースを奢ってもらう。

イラン人気に入った。

6月30日(日)

朝6時にシラーズに着いた。

市バスに乗って町の中心へ、
宿を見つけて昼寝して、
ワールドカップを見る。

ブラジルだったか。

ワールドカップ期間中はうるさかった。
町を歩いてると、
「お前ジャパニーズか?負けたろ?ノーグットだよ」
ってワールドカップに出てもいないイラン人に言われる。

英語喋れるイラン人と話してると、
100パーセントサッカーの話になる。
日本のサッカーでイラン人が知ってるのは、
「中田」だけ。

7月1日(月)

なんだか体がだるい。

午前中はチャハネでゆっくりして、
昼過ぎにシャー・チェラグとかバザールを見に行ってきた。

シャー・チェラグではモスクみたいな所に棺があって、
巡礼者がいっぱいいた。

タイルがピカピカ光ってて、
中は異様な空間だった。
入るときは前向きでいんだけど、
出るときはみんな後ろ向きで出ていったので、
俺も真似して出てきた。
あとで聞いたんだけど、
棺にケツを向けてはいけないらしい、
それからムスリムじゃないと、
本当は入っちゃだめだったんだって。

それからバスに乗って、
マルヴダシュトっていう町に行って、
サブァリに乗り換えて、世界遺産ペルセポリスへ。

入場料60000リアルは非常に高い、
ザムザムコーラ(300ml)が100本飲める。
ひどい外国人料金だね、
イラン人は2000リアルらしい。

日本の博物館とかも、
中国人、インド人、イラン人は、
日本人の10倍の入場料を取ってください。

ペルセポリスは雰囲気が台無しだ。
しっかり保護したい気持ちはわかるけど、
鉄骨で囲っちゃうとか、
夜のライトアップ用のゴツイ照明器具とか、
ちょっとやり過ぎなんじゃないの?

7月2日(火)

6時間バスに乗って、
世界の半分と言われてた、イスファハンへ。

昔はそれだけ栄えてたんだろうね。

バス停について、
親切なイラン人カップルに、
宿まで連れてってもらった。

イランの女性は一応頭にかぶりものをしてるけど、
パキスタン人とかアフガニスタン人みたいな、
宗教の厳しさはないみたいだ。
自分の国の文句を言ってみたり、
ムスリムなんて嫌だっていう女の子もいた。
自由な恋愛もしたいし、
お洒落な服を着て町を歩きたいんだろう。

橋の下にあるチャイハネでゆっくりする、
いい風が入る。

7月3日(水)

世界遺産のイマーム広場に行ってきた。

イラン人が芝生の上でくつろいでる、
なかなかいい感じ。
札幌の大通公園をもっと綺麗にして、
400年前の建物で囲ってモスクを作れば、
イマームの広場になる。

アキバっていう日本語が喋れるイラン人がいて、
そいつに色々案内させた。

お礼にアイスを奢る。

イランのアイスはモチモチしてておいしい、
カタクリ粉が入ってるので、
モチモチしますって、アキバが言ってた。

夜になるとどんどんイラン人の家族が、
イマーム広場に集まってきて、
ピクニックみたいなことをやってた。

そこでも俺は大人気だった、
そんなに日本人が珍しいのかな?

7月4日(木)

イマーム広場に行って、
見晴らしのいいチャイハネでゆっくりする。

12時頃になると暑くて外は歩けないから、
ペルシャ絨毯屋に行って、
50万円以上する絨毯の上で、昼寝をする。

7月8日(月)

ここ数週間は、毎日イマーム広場に行って、
知り合いになった絨毯屋で、
チャイを飲んでメロン食べてアイス食べて昼寝してた。

首都テヘランへ。

まだまだ砂漠で、
バスの中は蒸し風呂のようだった。
6時間でテヘランに着いて、安宿街へ。

それからケバブ屋に行って夕飯を食べた。
21時を過ぎてるので、外は暗かった。

宿に帰ろうと思って歩き出したら、
5人くらいの人に一瞬囲まれて、
その内の何人かが、
俺のポケットに手を突っ込もうとした、
2人突き飛ばして、すぐ横にあったお店に逃げた。
そしたらたぶん一部始終を、
周りの人達が見てたんだろうと思うけど、
その人達とお店の人が走って、
そいつらを捕まえに走って行った。

いやー恐かったよ。

ちょっとたって、そのお店でジュースを飲んだときに、
急に恐くなった。

10分くらいして、
お店の人と通りがかりの人3人が、
宿までついてきてくれた。

宿のオヤジが言うには、最近多いらしい。
イランの若者だって言ってた。

ちなみに俺のポケットは改造してあって、
そう簡単に財布は取れないのだ。
でも、違うポケットに小銭が入れてあって、
そっちはどうぞ持っていってくださいっていう、
仕組みになってる。

7月9日(火)

アルメニア大使館に行って、
VISAを申請した。

受け付けの女の子が凄くかわいかった、
半袖、単パンだったんだよ。

パキスタンでもイランでも、
女性がまったく肌を出してないから、
そのアルメニアの女性を見たとき、
一瞬驚いて、その後さすがにドキドキした。

旧アメリカ大使館が面白いって聞いてたので、
行ってみた。
「DOWN WITH AMERICA」って壁に書いてあって、
自由の女神の顔がガイコツになってた。
そこで大笑いしてしまって、
銃を持った警備員みたいな人に怒られた。

今は専門学校になってるんだって。

それから宝石博物館へ。
バンクメリの本店の地下の金庫に、
いっぱい宝石があった。
イランが栄えてたときの王様が、
世界中からかき集めたらしい。
ゴッツイ警備員が、
宝石を見に来た人と同じくらいいて、
ウザイ。

7月10日(水)

宿を替えた。

グルジアVISAを取りに行こうと思ってたんだけど、
なんだかかったるいのでやめてしまった。

宿で1日ボーッとする。

テヘランは面白くない、
VISA待ってるから、いなきゃいけないんだけど、
酒もないし、見所もないし、お店はボルし、
他の町と比べて、物価も高いし。

嫌だこんな町。

7月11日(木)

体の調子がパッとしないのは、
寝る時間と起きる時間がおかしいからだ。
夕方寝てみたり、朝方寝てみたりしてるから、
1日中かったるいんだよ。

それから気候の問題もあるな、
昼間は40度以上あるのに、
夜は薄い毛布をかけないと、
ちょっと寒くて寝れない。

砂漠を抜けて、
ここはステップ気候だと思うんだけど、
砂漠気候とたいして変わらないじゃないか。

宿にあるパソコンの、
ハードの部分を替えたいってオーナーが言うので、
HDDとCDとCPUを替えてやった。

1日宿代がただになる。

夕方地下鉄に乗ってバスターミナルへ、
イランにしては立派な地下鉄である。

バス停に着いて、近くにいた少年に、
「マシュハド」って言ったら、
すべての手続きをしてくれて、
バスの所まで連れていってくれた。

テヘランでは、英語が他の都市より通じて、
よくおじさんと話をすることが多かった。
みんなイランの事になると、
この国はダメだ、シャーの時代は良かったっていう。
この国はテロリストの国だなんて、
イラン人が言っちゃってるんだから、
本当にダメなんだろうな。

7月12日(金)

8時にマシュハドに着いた、
ムスリムでもシーア派の聖地だ。

宿決めて昼まで寝て、
イマーム・レザーの棺がある、ハラムへ。

バスで行ったんだけど、
「ハマム」って運転手に言っといたら、
変な所で降ろされて、
みんなが指差す方に行ったら、
風呂屋だった。
「ハラム」と「ハマム」を間違えたらしい。

またバスに乗る。

ここは凄かった。
まさにイスラム教って感じだった。
外は綺麗なモザイクで、
中は頭がクラクラするほどピカピカ。
色んな所から巡礼者が来るみたいで、
物凄い人数だったよ。

シーア派だったら、
パキスタンとかアフガニスタンからも来てるんだろう、
シャルワールカミース着た人とか、
上から下まで全部隠してる、
アフガニスタン女性やら、
とにかく落ち着いてコーランも読めないぞって感じだった。

夜中までハマムにいたんだけど、
ライトアップもされるし、
全然飽きなかった。

まだ大規模な増築もしてた、
今作ってる大広場が出来たら、
もう1回見てみたいな。

7月13日(土)

イランに入ってから、ジャポンか?
「おしん」だなってよく言われる。
何年前の話をしてるんだよ、
1つの町で2、3回は言われるよ。
すっごく細かくおしんの話をされるんだけど、
わかんないっちゅーの。

しかも、ペルシャ語だし。

今泊まってる宿のお客さんと仲良くなって、
毎回食事の時間になると、
俺の部屋に届けてくれる。

いいやつらだ。
俺がイマーム・レザー聖廟に、
巡礼しに来たと思ってるみたい。

テヘランに戻るために、
また16時間のバスに乗る。

7月14日(日)

昨日の夜のバスで、
隣になった同じ年のやつが、
自分のかーちゃんが作ったっていう
弁当の半分を分けてくれた。

うまかったなぁ。
イランの家庭料理はやっぱりうまい。

それにしてもいいやつだった、
飲み物もお菓子も全部半分にして俺にくれた。

7時にテヘランに着いて、
宿に荷物を置いて、グルジア大使館を探す。
4時間探しても見つからなかったので、
携帯持ってた人に電話してもらったら、
場所が全然違ってた。
わかりずらいみたいなので、
タクシーで行ったんだけど閉まってた。

7月15日(月)

早起きしてグルジア大使館へ。

タクシーに乗って行ったんだけど、
運ちゃんが9年前に日本に行って、
2年間不法滞在して稼いでたってやつだった。

グルジア大使館に着いて、
お金を払おうとしたら、
「ワタシ日本人スキ、お金イラナイ」
っていってただにしてくれた。

VISAの申請をして、バンクメリの本店に行って、
VISA代の40ドルを振り込んだ。
そのとき、どこの国の出身かわからないけど、
ツーリストの女の子2人が、
トラベラーズチェックを交換出来なくて困ってる、
どうしよう?って俺に相談してきた。

イランってトラベラーズチェック使えないんだ。
アホだね、この国。

自分の大使館に助けて貰いなって言って、
500リアル約7円あげた。

夕食は日本食屋「瀬里奈」に行ってみた。
マグロ丼、キャビア寿司、コーヒー、
オレンジジュースで、20ドル。
イランで一番高いレストランらしい。

一番美味しかったのは、コーヒーで、
次にオレンジジュースだった、
マグロ丼はまずくて残した、
っていうかあのマグロはやばかった、
腐る寸前だぞあれ。
有名なキャビア寿司は、
美味しくもまずくもなかったけど、
7ドルは非常に高い。

キャビアは寿司にしない方がいんじゃないでしょうか。

7月16日(火)

日本からの手紙を受け取りに、
日本大使館へ。

中は迷路のように鉄格子があって、
いちいち鍵を開けなきゃならない。
そこを抜けると領事部があるんだけど、
マジックミラーで相手の顔が見えない。
しかもインターホンなので、
何言ってるかよくわからないし。

まぁ別にいいけどさ、
なんかあんまりいい気持ちじゃないよね。

手紙は届いてなかった、
もしかしたら一生届かないかもしれない。
ヨーロッパに近づいてきた感じはするけど、
やはりイランはまだアジアだった。

7月18日(木)

朝一番にアルメニア大使館に行って、
VISAを受け取る。
それから、グルジア大使館に行って、
VISAを受け取る。

まだ11時だったので、
荷物をまとめてラシュトに向かった。

やっと砂漠地帯を抜けて、
緑がある所に来た。

景色もいいし、気分もいい。
ただ、ジメッとした暑さになってしまった。
汗が凄く出る。

砂漠から北上して、
どんどん緑が増えていくっていうのも面白かったな。
遠くの方にポツンポツンと小さい緑の木が見えてきて、
そのうち背丈も量も増えていって、
ラシュトの前は、
日本の山みたいに緑がいっぱいになって、
高い木があって、
砂漠のにおいもしなくなった。

ラシュトについて宿を捜したんだけど、
結構大変だった。
イラン人の観光地なってるからだろうか、
どこも高い。
路地裏の裏の裏にある、
怪しい宿にした。

今日はうざいアホイラン人にいっぱいあったけど、
親切な人にもいっぱいあった。

テヘランからラシュトまでのバス代しか払ってない。
3回サヴァリに乗ったんだけど、
全部誰かが払ってくれた。
乗合タクシーだから乗り降りが激しい、
誰が払ってくれたんだかわからないんだよ、
お礼いいたいのに。

一緒に宿を捜してくれたやつも、
いいやつだった。
貴金属屋にいきなり入って、
ペルシャ語で「宿」って言ってから、
20000リアル以外の宿には泊まらない、
もしなかったら、「この店で寝る」
って言って、半強制的に探させたんだけど。

7月19日(金)

テヘランの宿にいたやつが、
マースレーっていう町の出身で、
いい所だからぜひ行ってって言われたので、
行ってみることにした。

フーマンっていう町でバスを乗り換えて、
マースレーへ。

ここはどこの国?っていうほど緑がいっぱいで、
山の斜面に家がある。
インドのダラムサラをヨーロッパ風にしたような所。

いい感じ。

ここの人達は他のイラン人と顔が少し違う、
とくにおばちゃん達は、
体系といい顔つきといい、
ヨーロッパっぽい。
人種が違うのかも。

それからカスピ海を見にバンダレ・アンザリーへ。

イランの男の人達が、
Vの字海パンをはいて泳いでるんだよ、
なんだか「濃い」。
見ててあんまりいいもんじゃないな。

女の子はさすがに一人も入ってないし。

あの乾燥地帯を抜けてきたから、
水平線の見えるカスピ海を見た時の気分は良かった。

今日は良く乗り換えをした、
バスに乗ったり、サヴァリに乗ったり、
ヒッチしたり、いっぱいイラン人に助けられた。

7月20日(土)

ラシュトからアルデビルへ、
バスはカスピ海沿いを通って山の方へ。
クネクネ道を上りきると、
パーッと高原が広がってアルデビル。

アゼルバイジャンはすぐそこだ。

アルデビルは涼しくて、
人はのんびりしてる。
ここに住んでるのは、アゼリー人らしい。
アゼルバイジャン系の人のことみたい。

マースレーにいたおばあちゃんはアゼリー人だな、
顔がイラン人ぽくなくて、
こっちの人っぽかった。

イランのどこでもそうなんだけど、
日が沈む時に東の空は真っ暗で、
西の空は真っ青になる。
その真ん中がなんとも言えない、
いい色になるんだよ。

日が沈む時に毎日外に出て、
おぉーすげーって感動してた。

7月21日(日)

温泉が近くにあるらしいので、
あまり期待しないで行ってみた。

アルデビルからサバランっていう山に向かって1時間、
サレインっていう町。

サレインに着いてフラフラしてたら、
「あなた日本人!」って日本語で声をかけられた。
家族で温泉に来たイラン人だった。
そいつにいい温泉を教えてもらって、
そこに行ったんだけど、
なんと、本物の温泉だった。

温水プール、人がいっぱい入れる浴槽、
個人用の浴槽が50個あって、
温度もベリーグットですよ。

本当に気持ちよかった。

湯船に入ったなんて、
7ヶ月前にネパールでトレッキング中に
見つけた温泉以来だ、
半日いて7ヶ月分のアカをおとす。

この辺にはあまり旅行者が来ないみたい、
みんなやさしい。
チャイを頼んだらポットでくれたり、
チョロケバブ食べてもサラダおまけしてくれたり、
サブァリはお金いらないって言うし、
道聞いてもそこまでついてきてくれるし、
いいぞアゼリー人。

夕食食ってたら、
3ヶ月前に日本から帰ってきたっていうイラン人に会った。
日本に11年いたらしい。

どうして1ヶ月VISAで11年もいれるんだよ、
出国した時にイミグレーションの人に何も言われなかった?
って聞いたら、「何も」って言う。

おかしんじゃないの?日本国。

7月22日(月)

久々に雨を見た、
なんだか嬉しくて、
雨の中、町をブラブラしてタブリーズへ。

4時間でタブリーズに着いて、
バスターミナルでアルメニア行きある?
って聞いたら、あるっていうので、
そのチケット代理店まで行く。

そこに荷物を預けて、
マーケットに行ったりした。

それにしても、
タブリーズからイェレバンまでの、
ダイレクトバスがあるとは思わなかった。

ラッキーだ。

タブリーズのマーケットは面白い、
雰囲気いいし、人もいい。
あまったリアルで生活必需品を買った。

24時にバスが来るっていうので、
それに合わせてバスが通るっていう道まで行く、
バス停じゃなくて、途中乗車する所みたい。

リアルを全部使い切ってしまって、
3キロあるその道までどうやって行こうか考えてたら、
旅行代理店の人が、
「お前金ないのか」っていって、
タクシー代払ってくれた。

バスを待ってる時に、
そこでケバブの屋台をやってる奴等にお世話になった。

みんないい奴等だった。

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