- 2001年7月17日(火)
- 起きたら部屋に誰もいなかった、外人軍団が出たんだ。
香港で会った戦争カメラマンとメシ食いに行った、
今回は中国の1人っ子政策の現状を撮りに来たらしい、
病院とか道端に捨てられてる子供を撮るんだって。
どうせ広州でやる事もないんだし、彼の仕事を手伝う事にした、
明日肇慶に行って病院周りだ。
夜中まで老酒を飲んで一本空けた。
- 7月18日(水)
- 9時に起きて出発した。二日酔いだし、吐きそう。
バスで2時間くらいで肇慶に着いた、かなり怪しい町だった、
もしかしたらその辺に子供が捨てられてるかもしれない、
俺も使い捨てカメラを持たされて後について行く。
6個位病院を周ったんだけど、捨てられてなかった、
夕方頃まで周って広州に帰った。
部屋に帰ったら、
パスポートをなくした外人が泣きそうになってた、しかも2人。
2人とも別々の所で盗まれたみたいだけど、
場所は俺が次に行く桂林だ。
「もうやだカナダに帰る」って言ってた。
その後カメラマンの部屋で酒飲んでたら、
日本人が入ってきた、台湾で中国語の勉強をしてるんだって
- 7月19日(木)
- 今日は3人で適当なバスに乗って面白そうな物を撮りに行く。
バス停に行って赤泥って言ういかにも怪しい町があったので、
そこにした。
怪し町だったけど何もなかった、
ちょうど収穫の時期だったので、
中国人の働いてる所をボーッと見てた。
学生さんとカメラマンはかなり面白い人達だよ、
中国周ってて全然日本人に会わなかったから、
ストレス発散のようにダーっと喋る。
- 7月20日(金)
- 広州を出る。
チェックアウトしたら、そこに日本人女性がいたので、
その人と男3人でメシ食いに行った。
中国話で盛り上がる。
それから駅まで一緒に行って、みんなバラバラになった。
俺は電車で桂林へ。
- 7月21日(土)
- 7時30分に桂林に着いて、陽朔に行くために、
バスの所まで行ったら15元とボッてきたので、
次ぎのバスを待った。
フラフラしてたら靴磨きのおばちゃんが、
「そのサンダル壊れてるからこっちにこい」
みたいな事を言ったので、
交渉して8元で直してもらう事になった。
もう寿命かな?と思ってたところに、
タイミングよく声をかけられたからちょっと嬉しかった。
だが!やっぱり中国だった。
終わった後に10元でーすっていいやがった、
俺は大人だからそんなくらいじゃキレないよと、
どーんと構えて2元の為に2時間話し合った、日本円にして30円。
筆談なんだけど、今回の件で俺が中国を嫌いになったら、
13億人の人に申し訳ないと思わないの?とか、
アメリカ、フランス、韓国、日本は人を騙す人はいない、
でも中国にはいっぱいいる、現にあなたがそうだ!とか、
テキトーな事を言って、なんと!中国人に勝ってしまった。
2元返してもらった。
なんだかこれで中国制覇した感じ、もう中国に未練はない。
それからおばちゃんの病んでる心に釘を刺すように、
返して貰った2元を、
俺のいいたい事をうまく中国語に訳してくれた、
通りががりのお姉さんに分けてあげた。
まぁ最後はみんなで大笑いして終わったんだけどね。
おばちゃんはとてもいい仕事をしてくれたから、
8元っていう約束だけど10元位あげてもいいなと思ってた、
でも交渉して8元って事になってたのに、
終わったら10元じゃ気持ちよくあげられないよな、
俺の頭の中のちょっと違う所のスイッチが入った、
「今日は負けねーぞ」。
それからすぐに陽朔行きのバスに乗った、
気持ち良く乗れたんだけど、
後から知ったんだけど実はそのバスで5元ボられてた。
1時間半で陽朔に着いて、
広州で会った日本人女性と四川飯店で待ち合わせしてて、
四川飯店に行ったらFULLで、
お店の女の子が、
ジャパニーズガールは他のゲストハウスに行ったわよ、
あなたの事は聞いてる、女の子はまた来るって言ってたわよ、
みたいなカワイイ英語で答えてくれた。
ただ、俺も泊まれないから他をあたる、
バスを降りて来た時から背のちっちゃい女の子が、
俺の後ろをつけて来てたので、
その女の子に安宿を聞いて、そこに連れていってもらった、
10元なのでOKして女の子の話を聞いてやった。
彼女はこの近くの農家の娘でツアーガイドをしてるらしい、
名前はアニーちゃんで、年齢は20歳、彼氏なし、
英語は高校でちょっとと後は自分で勉強したらしい、
40元でこの辺の有名な所と自分の家に招待してくれるらしい、
昼飯は彼女の手料理が食べれるんだって。
あの純粋な目は人を騙す人間じゃない!
と勝手に決めてOKしといた。
ただ広州で一緒になった女の子が見つかったらOKって事にした。
それから町に出てブラブラしてみた、
この町最高ですよ、バックパッカーの町って感じ、
中国でこんな町見た事ない、
中国人の笑顔も見れるし、メイヨーなんて言われないし、
カフェもありメシも色々あるし、のんびりしてるしここはいい。
また四川飯店に行ってみたけどいなくて。
書き置きしてきた、宿に帰ったらアニーちゃんがいて、
日本人女性が見つからないよって言ったら、
そう言えばここに1人泊まってるよって教えてくれたので、
レセプションで調べたら俺の探してる人だった、
部屋に行ったらいて、彼女も四川飯店がいっぱいだったので、
安いこの宿にしたんだって、
そのままアニーちゃんの所に行って、明日のガイドを頼んだ。
その日本人女性は23日に生まれたから、
二三子っていう名前付けられたんだって。
ふみこって読む、ちょっとうける。
- 7月22日(日)
- 寝ててへそに汗が溜まるくらい暑かった、
全然寝れなかったよ。
9時にアニーちゃんが迎えに来て、自転車で出発した。
さすが農家の娘だけはあって、色々細かい道を知ってる、
山水画に出てきそうな風景を見ながら、
1時間ちょっとかかってアニーちゃんの家に着いた、
俺と二三子さんは月売山を登りに行った、
30分で頂上に着いた、素晴らしい!絵の中にいるようだった。
それからアニーちゃんの家の戻って昼飯食べて、
アニーちゃんの弟達と遊んで、夕方宿まで帰ってきた。
このツアーは良かった。
二三子さんと夕飯食べに行って、
ちょっとしたマーケットみたいのをやつを見に行った、
そこでバッタリカメラマンの彼に会った、
長沙に行って町を歩いてたら、
日射病っぽくなってしまったので、
近くの招待所に入ったら地元の高校生がいて、
その女の子に助けられて、なんだかわからないけど、
結局陽朔まで来ちゃったらしい。
同じ宿に案内して飲みに行った。
- 7月24日(火)
- 陽朔を出て桂林へ、そこから昆明行きのバスに乗った。
電車だと30時間かかって値段も高いので寝台バスにしてみた、
20時間位らしい。
寝台って言ってもけして立派なもんじゃないです、
どっちかっていえば、座席の方がいいけど、
20時間の長距離には無いみたい。
とにかく走る、
ガンガンクラクション鳴らしてとにかく走ってくれた、
でも、12時頃壊れた。
バスが1時間くらい入院して、また走り出す、
でもまた壊れるを繰り返して、
最後は低速でしか走れないようになった。
- 7月25日(水)
- まだバスに乗ってます。
11時に着く予定なんだけど、今11時です。
まだ雲南省に入ってない。
とりあえずメシ食って外の景色を見る、
緑と山が多いから気分がいい、
あまり見たことのない風景だよ、あの形の段々畑も珍しい。
おいおい全然着かないよ、
っていうかバスおせー!30キロ出てるか?
結局10時間遅れの30時間で昆明に着いた、21時だよ。
さっさと宿決めて、飲んで寝た。
- 7月26日(木)
- 久しぶりにぐっすり寝れた。
昆明は夏でも平均気温が20度位なんだって、過ごしやすい。
日本から荷物を送ってもらってるので、
郵便局に取りに行った、
まだ来てないみたい、8日も経ってるのに・・・。
それからインターネットをやりにいった、
空いてる席の前でやりたいって言ったら
「メイヨー」って言われた、
どーみたってメイヨーじゃないだろ!
- 7月27日(金)
- 体がだるい、風邪ひいた。
でも出かけた、でもすぐに戻ってきた。
夕方日本人が溜まってるっていう噂の宿に行って、
数人の日本人捕まえて夕飯食べに行った。
昆明は日本人が多いね。
- 7月28日(土)
- カメラマンが出た、
インターネットで情報を集めて、武漢に飛んだ。
未解放地区に行くらしい。
俺は相変らずメシ食って郵便局に行くお決まりパターン、
でも、今日はいつもと違った、
郵便局に入ったら俺の荷物が机の上にドーンと置いてあった、
これには感動したよ、郵便局のお姉さん覚えててくれたんだ、
そりゃ毎日来てればいやでも覚えるか。
よかったカメラ帰ってきて、
しかもワカメスープまで入ってた、
ワカメスープがこんなに美味しいものだったとは・・・。
ちょっと元気になったのでハノイ行きの国際列車を調べた、
国境の町の河口までは行ってるけど、
そこから崖崩れがあって通れないらしい、
まぁいいや、体が完全回復したら河口まで電車で行って、
歩いてベトナムに入ろう。
夜に二三子さんが出た、久しぶりの一人だよ。
- 7月29日(日)
- 国際列車のチケットを買いに行った、
昆明→ハノイはないって言われた、
机を蹴ってみたけどメイヨーだった、
絵で説明してもらったら、
落石があったのはどうやら中国側らしい、
だから中国側は全線運休中みたい。
バスで国境まで行くしかないな。
- 7月30日(月)
- 9時30分の河口行きのバスに乗るはずだったのに、
起きたのは13時だった、
しょうがないから延泊して洗濯した。
1日暇だったのでドルを作ったり市バスに乗ってフラフラしてた。
- 7月31日(火)
- 9時に起きてバス停に行ったけど、
河口行きのバスはFULLだった、
もうちょっとシャキッとしなきゃだめだな。
明日のチケットを取って、また同じ宿に帰る。
さすが6泊もしてるだけはあって、顔パスで同じ部屋に入れた。
何て言ってるか分からないけど、
宿の女の子達はみんな同じ事を俺に言ってきた、
たぶん「あーらまた帰ってきたの?」とか言ってたんだろうな、
何とでも言え!また帰ってきてやったんだから、
ありがたく思え!
いつもビール買いに行ってる所のオヤジまで、
同じ事を言いやがった。
- 8月1日(水)
- 昆明から国境の町河口へ。
バスで11時間なんだけど、
毎日雨が降ってたし今日も降ってるから、
土砂崩れが凄かった、マジで怖かった。
隣りは崖だし反対は土砂崩れだし、
しかも土砂の崩れたところを行くから、
いつバスが谷に滑り落ちるか、
心配どころか手に汗握ったよ。
21時に河口に着いて、バス停の近くの宿に泊まった。
- 8月2日(木)
- 朝起きてだるかったから、延泊しようとしたけど、
元を使い切ってしまったので、面倒だから出発した。
5分位川沿いに歩いたら国境があった、
中国のイミグレでは珍しくスムーズだった、
でも、ベトナム側のイミグレでたらいまわしにされた、
このボーダーの評判の悪さは聞いてた、
すぐ賄賂よこせって言ってくるらしい。
俺もなんだか訳の分からない因縁つけられて、
1ドルよこせって何回も言われたけど、
バカっぽいふりして切り抜けた、
結局1時間くらいかかってしまった。
イミグレ抜けてUS$をVNDに替えてたら、
バイタクのお兄ちゃんが、
20000Dで駅まで行くって言うのでOKした、
全然お金の感覚が分からない。
駅について時間調べたら18時まで電車が無かった、
まだ時間はたっぷりあるので、
そのバイタクのお兄ちゃんと交渉して、
サパに行くことにした。
バイタクのお兄ちゃんの家に行って、
お茶飲んで出発した。
サパまでの風景が良かった、
1時間30分位かかったんだけど、
山の谷側に畑があって、雲がうっすらかかってて、
民族衣装を着た女の子達が、草刈ってる、
子供は牛を引いてて、俺に気づくと手を振ってくる、
なんてほのぼのしてるんだ。あぁ、いいなー。
サパに着いて山に登ったり、マーケットに行ったりした、
マーケットには色々な民族の人達が来てた。
ラオカイに戻ってバイタクのお兄ちゃんの家に行って、
夕飯食わしてもらった、うまかった。
怪しい料理だったけど、うまかったな。
それから電車に乗ってハノイへ。
電車の中はみんなベトナム人だった、
ちょこっと英語喋れる人がいて、
通訳してもらって喋ってた、
なんだかわからないけど盛り上がった。
ここまでベトナムGOODですよ、
中国の漢民族が最悪だったからかな?
≪MACAU≪ ⇔ ≫VIETNAM≫